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当時は弱かった日本

投稿者: nekomaru4 投稿日時: 2005/07/26 19:50 投稿番号: [10370 / 230347]
1884年   朝鮮で甲申政変

  朝鮮の保守的な閔氏政権の官僚であった金玉均と朴泳孝を中心とする急進的な開化派(独立党)は、単に西洋技術の導入にとどまらず明治維新のような諸制度の改革が必要だと考え、福沢諭吉らを介して日本政府に接近していた。また、年若い高宗王を思想啓蒙し、宮廷内外にまたがる「忠義契」という行動部隊を組織していた。
  宮廷内での立場が苦しくなった彼らは、武力による政権奪取を計画した。計画では、忠義契と日本から呼び戻した留学生により高宗王を確保し、在朝清国軍の介入に対しては日本軍の応援を依頼し日本公使竹添進一郎も同意していた。
  1884年12月に、計画は実行に移された。漢城(現在のソウル)の郵政総局開局祝賀晩餐会で放火騒ぎを起こし、混乱に乗じて王宮を制圧して閔氏政権の要人を殺害し高宗王を確保した。2日後に袁世凱の率いる清国軍の駐留部隊1500人が介入したが、形勢不利とみた日本軍は動かず、政変は3日で終わった。
  これを、甲申(こうしん)政変と呼ぶ。
  金玉均と朴泳孝は日本へ亡命した。金玉均は、後の1894年に上海で暗殺され、死骸は漢城(現在のソウル)に運ばれて晒された。

  翌年の1885年4月、日清間で甲申政変の事後処理を取り決めるため、日本から伊藤博文が天津におもむき、清朝の李鴻章とのあいだで天津条約を結んだ。
  この条約により、次のことが取り決められた。
・日清両国は朝鮮から撤兵する。
・軍事教練のため教官を派遣する。
・朝鮮に派兵する時は相互に通知すること。

  朝鮮の若手官僚たちのクーデターが失敗したのを見た福沢諭吉は、近代化の担い手たちを失った朝鮮には未来はないと判断し、朝鮮や清国はアジアの一員として手を結ぶ相手ではなく、欧米や日本から侵略を受ける対象になるとして、「脱亜論」を説いた。


日本をたよっていた朝鮮の革命家たちを見殺しにした日本もなさけないが清はちょかったのである。よく日本の一方的な侵略と語られているが事のはじまりからよおくみてみるといい。
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