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きっかけは横領していた朝鮮人官僚

投稿者: nekomaru4 投稿日時: 2005/07/26 19:43 投稿番号: [10366 / 230347]
1882年   朝鮮で壬午軍乱

  日朝修好条規の締結後、日本は高級米を朝鮮に輸出して安い米を輸入したため、朝鮮の米価が高騰して民衆の生活が苦しくなった。また、朝鮮は日本の軍事顧問を雇って新式軍隊を組織したが、旧式の軍隊を差別していた。
  こうしたなかで、1882年、朝鮮兵士への給料米の未払いなどが原因で兵士の暴動が起こったが、平素の不満から暴動の矛先は政権を握る閔氏一族の重臣や日本公使館へも向かい、ソウルの貧民もこれに加わった。
  日本公使館は約5000人の兵士と貧民によって包囲されたため、花房義質公使ら一行は仁川に逃れて、イギリスの測量船で長崎へ帰った。軍事顧問であった堀本礼造ほか数名の日本人が殺害されている。
  これを壬午(じんご)軍乱と呼ぶ。

  この軍乱では、失脚していた大院君がかつぎだされたが、閔氏一族が実権を握る朝鮮政府は清国に派兵を要請したため清国は3000人の軍を派遣して暴動を鎮圧し、大院君をとらえて北京の南西にある保定(注:天津としている文献もある。)へおくった。
  日本政府は、朝鮮政府の謝罪と遺族への扶助料、巨済島または鬱陵島の割譲を要求し、軍艦4隻と兵1500人を伴って花房公使が交渉に当たったが、清国軍とアメリカの軍艦派遣による牽制のため、領土の割譲はあきらめて交渉を終え済物浦(さいもっぽ)条約を結んだ。その内容は、次のとおり。
・朝鮮の謝罪
・50万円の賠償
・遺族補償
・清国と同様に日本の常時駐兵権を認める



この騒動の原因となった兵士への給料の未払いは官僚は自分のためにつかっていたためだ。現代につながる中国と日本の対立のもとになた事件といえよう。
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