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毛沢東の建国精神と台湾

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/07/11 21:21 投稿番号: [88128 / 196466]
政権は銃口から生れる」ことを信条とする毛沢東は、中国国民党との内戦に勝利を収めて中華人民共和国を創建した後も、しばしば政治目的のために武力を行使した。

建国からわずか1年で国家の基盤も固まっていなかった1950年10月、スターリンの要請を受け入れた毛沢東は、国家の存亡を賭けて、朝鮮戦争に介入して米軍と戦った。

当時の毛沢東は、ソ連共産党を中国共産党の兄貴分と仰ぎ、「ソ連と中国は一枚岩である」と誇っていた。朝鮮戦争への参戦でソ連との絆をますます強化することによって、毛沢東はソ連と共に中国を世界の覇権国家とすることを夢見ていたのであろう。

1957年、ソ連は世界で初めて大陸間弾道弾(ICBM)の実験と人工衛星の打ち上げに成功した。フルシチョフ・ソ連共産党書記長は、毛沢東に原爆の開発を支援すると約束した。

その直後に毛沢東は、モスクワで「東風は西風を圧す」「アメリカ帝国主義は張り子の虎だ」と演説して、中国はソ連と一体になって自由主義陣営を圧倒する姿勢を示した。しかし、フルシチョフはそのような毛沢東に危険性を感じたのであろう。

間もなくフルシチョフは、毛沢東に対する原爆開発援助の約束を反古にしてしまった。毛沢東が自力での核兵器開発を決意したのは、この頃のことであった。核兵器の開発には、巨額の資金を必要とする。

1958年、中国経済を短期間に自力で何倍にも発展させることを目的として、毛沢東は「大躍進」政策を打ち出した。

このとき毛沢東が、「台湾解放」を掲げて、国民党軍が駐屯している中国沿岸の金門・馬祖島への砲撃を命じたのは、全国民を一致団結させて「大躍進」に駆り立てるためであったと思われる。経済原理を無視した「大躍進」政策は惨憺たる失敗に終わったが、毛沢東は核兵器の開発を諦めなかった。

これより前の1954年にも、毛沢東は「台湾解放」を唱えて金門島を砲撃させたことがある。この年の5月、北ベトナムのディエンビエンフーのフランス軍基地が北ベトナム軍に攻略されてフランス軍が降伏したために、米、英、仏などは共産主義勢力が東南アジアに拡張することを防ぐことを目的とする集団防衛条約機構の結成準備を急いでいた。

この集団安全保障機構に台湾を加えさせないために、毛沢東は金門島を砲撃させたのである。この砲撃に驚いたタイやフィリピンなどの反対で、台湾はこの東南アジア条約機構(SEATO)に参加できなかった。武力による威嚇によって、毛沢東は政治目的を達成したのである。

この他にも毛沢東が行った戦争には、1962年のインドとの国境での戦い、1969年のソ連との国境での戦いなどがあるが、いずれにも政治目的のための武力行使であった。

毛沢東以後も1979年に、トウ小平が「ベトナムを懲罰する」と称して20万人の中国軍をベトナムに侵攻させている。政治目的のために武力を行使する毛沢東の建国精神は、中華人民共和国の伝統になってしまったと思われる。

もともと、武力でシナを統一した強国が出現すると、その国は武力で周囲の国々を支配下に置き、東アジアに覇を唱えてきた歴史的伝統がある。

しかし、シナに誕生した覇権国家は、いずれも大陸系の民族が築いた国家であり、13世紀に日本征服を2回試みたモンゴル人の大元帝国を例外として、海洋には殆ど関心を示さなかった。

だが、現代においては、海洋を制しない限り、中国は東アジアの覇権国家になることができない。

中国の指導者たちは、そのことを認識しており、1992年に制定した領海法で、東シナ海の大部分とフィリピン、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、タイ、カンボジア、ベトナム、台湾、中国に囲まれた南シナ海を一方的に中華人民共和国の領海と定めた。
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