トヨタの苦悩ー3
投稿者: jap1111111111111111111111111111 投稿日時: 2005/07/10 16:57 投稿番号: [88036 / 196466]
トヨタ自動車が上海生産を断念した一九九四年二月、広州汽車が合弁を打診してきました。
撤退する仏プジョーの後釜で、との申し出に技術陣は「他のメーカーの設備ではトヨタ車は造れない」と断りました。
広州はその後、ホンダと組んで中国全土でアコードの一大ブームを巻き起こしました。
曲折を経てトヨタが再び広州の門をたたくのは、それから約十年後のことです。
話を九四年の七月に戻します。
中国政府は東京・高輪プリンスホテルに日本メーカー各社を集め、自動車政策の細部を説明しました。
メーカーの幹部は配られた資料の一句にくぎ付けになります。
「中国は一九九五年末まで新規事業を許可しない」
読み替えれば、「九六年の進出ラッシュに備えて向こう一年余りで中国側の合弁相手を選べ」ということでした。
とはいっても、設備、技術水準を考えれば組める相手は限られてきます。しかも第一や東風などの大手は既に欧州勢が合弁を組んでいました。上海にふられ、広州を軸にしたトヨタは、グループ会社のダイハツ工業が技術支援している中堅の天津汽車しか残されていませんでした。
しかし、トヨタは天津はできれば避けたかったのです。そのときはすでに、主要車種「夏利(シャレード)」が不振で経営危機に見舞われていました。
この再建が合弁相手になると、かなり苦戦するのは目に見えていました。しかし選択肢のないトヨタは進出を決断します。
副社長だった和田明広(70)は天津の工場を訪ねて目を疑います。ドアがまともに閉まらない。雨漏りはする。経営危機によって人心の荒廃は極限に達していました。
和田は途方に暮れました。
天津のてこ入れと並行して合弁会社の準備も進めました。しかし現地生産比率を除々に高めながら販売網を築く「トヨタ流」はご法度でした。周辺産業の育成と雇用を重視する中国政府は、部品メーカーの同時進出を条件と課してきました。
和田は「市場の購買力を見極めながら生産を増やさないと失敗する」と訴えましたが、天津汽車も市共産党も聞く耳を持ちませんでした。
投資リスク回避の手段を封じられたトヨタは暗闇の中を全速力で走りました。
車種選定でもトヨタは壁にぶつかります。
看板のカローラを造りたいトヨタ戦略に、市共産党幹部は賛同しませんでした。
「カローラはすでに世界中に出回っている。わが中国市場に投入するのはまだ世に出てない新車種だ」
北米日本で鍛え抜いたトヨタ流の勝利の方程式はことごとく封じられました。
トヨタは急遽コンパクトカーの後部を無理やり引き伸ばしたセダンを造ります。
「こんなのはプロの仕事じゃない。だが、これをやらないと中国市場に入れない」
幹部は開発部門の尻をたたいて作業を急がせました。誇りを捨てた代償が九九年の合弁認可でした。
撤退する仏プジョーの後釜で、との申し出に技術陣は「他のメーカーの設備ではトヨタ車は造れない」と断りました。
広州はその後、ホンダと組んで中国全土でアコードの一大ブームを巻き起こしました。
曲折を経てトヨタが再び広州の門をたたくのは、それから約十年後のことです。
話を九四年の七月に戻します。
中国政府は東京・高輪プリンスホテルに日本メーカー各社を集め、自動車政策の細部を説明しました。
メーカーの幹部は配られた資料の一句にくぎ付けになります。
「中国は一九九五年末まで新規事業を許可しない」
読み替えれば、「九六年の進出ラッシュに備えて向こう一年余りで中国側の合弁相手を選べ」ということでした。
とはいっても、設備、技術水準を考えれば組める相手は限られてきます。しかも第一や東風などの大手は既に欧州勢が合弁を組んでいました。上海にふられ、広州を軸にしたトヨタは、グループ会社のダイハツ工業が技術支援している中堅の天津汽車しか残されていませんでした。
しかし、トヨタは天津はできれば避けたかったのです。そのときはすでに、主要車種「夏利(シャレード)」が不振で経営危機に見舞われていました。
この再建が合弁相手になると、かなり苦戦するのは目に見えていました。しかし選択肢のないトヨタは進出を決断します。
副社長だった和田明広(70)は天津の工場を訪ねて目を疑います。ドアがまともに閉まらない。雨漏りはする。経営危機によって人心の荒廃は極限に達していました。
和田は途方に暮れました。
天津のてこ入れと並行して合弁会社の準備も進めました。しかし現地生産比率を除々に高めながら販売網を築く「トヨタ流」はご法度でした。周辺産業の育成と雇用を重視する中国政府は、部品メーカーの同時進出を条件と課してきました。
和田は「市場の購買力を見極めながら生産を増やさないと失敗する」と訴えましたが、天津汽車も市共産党も聞く耳を持ちませんでした。
投資リスク回避の手段を封じられたトヨタは暗闇の中を全速力で走りました。
車種選定でもトヨタは壁にぶつかります。
看板のカローラを造りたいトヨタ戦略に、市共産党幹部は賛同しませんでした。
「カローラはすでに世界中に出回っている。わが中国市場に投入するのはまだ世に出てない新車種だ」
北米日本で鍛え抜いたトヨタ流の勝利の方程式はことごとく封じられました。
トヨタは急遽コンパクトカーの後部を無理やり引き伸ばしたセダンを造ります。
「こんなのはプロの仕事じゃない。だが、これをやらないと中国市場に入れない」
幹部は開発部門の尻をたたいて作業を急がせました。誇りを捨てた代償が九九年の合弁認可でした。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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