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縄文・弥生のハイブリッドシステム

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/06/26 14:51 投稿番号: [85674 / 196466]
弥生中期の戦士の墓

今からちょうど20年前の夏、私は東大阪市と八尾市にまたがる久宝寺緑地内の遺跡発掘調査現場にいた。炎天下の中、汗だくになりながら弥生時代中期の方形周溝墓の木簡の中から出土した人骨と連日向き合っていた。ボンド片手に骨を固めながら丁寧に掘り出していくと、北側に向いた頭骨から密着した状態でサヌカイト製の石鏃(矢じり)が出てきたのである。また、頭骨周辺には多量の水銀朱と思われる赤色顔料も検出している。この頭部からの石鏃発見は「戦士の墓、発見」の見出しと共に新聞各紙も取り上げた。

後にこの人骨は身長1.6m前後の20歳前後の男性と鑑定されている。従って若き戦士を弔うための墓だったのだろう。弥生時代の戦士の墓は、鳥取県の青谷上寺遺跡、京都市南区の東土川遺跡や松江市・友田遺跡などで続々と発見されているが、この時期広範囲にわたって戦いの爪跡を残している。

縄文人が一万年以上も平和に暮らしていた日本列島に水田稲作文化をもった渡来人が主に朝鮮半島経由でやってくる。縄文人の多くは、この渡来人から稲作を学びながら血も混じり合っていく。弥生人とはこの縄文系の混血弥生人と新たな渡来系の弥生人によって構成され、現在の日本人の原型となっている。

狩猟・採集民族であった縄文人は比較的平和であったのに対し、農耕民族である弥生人はテリトリー意識が芽生え、貧富の差も拡大、階層を生みだし、攻撃性も増していく。しかし、混血は見られるものの、縄文人と弥生人の礎となる渡来人が戦った形跡は残されていない。渡来人は縄文人を「うまく言いくるめたのではないか」と知り合いの考古学者は笑って話していたことを思い出すが、北米大陸のネイティブ・アメリカンの歴史を重ね合わせれば信憑性が帯びてくる。

しかし、縄文人とて自らのアイデンティティーにこだわり、渡来人との窓口に位置していた西九州地方では伝統的な世界観を象徴するために土偶作りが行われ、小林達雄はこれを幕末末期攘夷運動の縄文版と呼んでいる。
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