tokagenohesoさんへ
投稿者: uyokujanaimon 投稿日時: 2005/06/26 13:41 投稿番号: [85667 / 196466]
一点だけ。
日本人は「中国から多くを学んだ」と軽く口にしますが、謙遜のレトリックとして言われているならともかく、それが思い込みや固定観念、一種のイデオロギーになっている面があると考えています。
実際に何をどれだけ、と考えると、実際には「あまりない」のが事実ではないですか?
稲作の起源は、稲作自体も水田稲作も、最近は縄文期まで遡ることがわかっており、高度に組織化された社会の歴史の起源は、中国や朝鮮など大陸系文化の影響以前に遡ることが明らかになってきた。
ユニークな土器にしてもそうですが、高句麗をはじめ、多くの外来の「文物」を取り入れたにしても、「ソフトウェア」はほとんど日本独自のものだと考えたほうがいいように思う。その証拠に、天皇制成立も古墳もユニークなものです。もちろん仏教思想の影響は絶大ですが、それはインド起源であり、文書として中国を経由したとしても、中国の悪影響を除去したからこそ、日本において仏教文化が栄えたとも考えられる(と私は思っている)。
そうでなければ607年に聖徳太子が隋の煬帝に「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を至す。恙無きや」と書き送ることもなかったでしょう。
精錬・金属加工なども、当時、東アジア・東南アジアに流通していた技術を取り入れたのであって、中国や朝鮮から「学んだ」わけではないでしょう。建築技術にしてもそう。日本のような発達した木造建築技術は中国にも朝鮮にもないもの。
それに、我々はもっと海洋交易を通じた南方(東南アジア)からの文物・情報の流入に関心をむけてしかるべきだ。日本は明らかに古代から漁業、造船、航海術の発達した国だったし、そうした技術は、中国や朝鮮からではなく、南方(東南アジア)起源。
低俗中国人はよく「漢字」のことを言いますが、ほとんどすべての中国人は、100年前ぐらいまでは、ほとんど「無文字社会」に暮らしてきたことをどう思っているのでしょうかね。「大地主が、農民が文字の読めないことにつけこんで、農民を騙して土地や娘を取り上げてきた」というお話は、かつて中国共産党のオハコだったのに、その歴史的事実も今は「反日」によってウヤムヤなんでしょうか?(笑)
日本人は「中国から多くを学んだ」と軽く口にしますが、謙遜のレトリックとして言われているならともかく、それが思い込みや固定観念、一種のイデオロギーになっている面があると考えています。
実際に何をどれだけ、と考えると、実際には「あまりない」のが事実ではないですか?
稲作の起源は、稲作自体も水田稲作も、最近は縄文期まで遡ることがわかっており、高度に組織化された社会の歴史の起源は、中国や朝鮮など大陸系文化の影響以前に遡ることが明らかになってきた。
ユニークな土器にしてもそうですが、高句麗をはじめ、多くの外来の「文物」を取り入れたにしても、「ソフトウェア」はほとんど日本独自のものだと考えたほうがいいように思う。その証拠に、天皇制成立も古墳もユニークなものです。もちろん仏教思想の影響は絶大ですが、それはインド起源であり、文書として中国を経由したとしても、中国の悪影響を除去したからこそ、日本において仏教文化が栄えたとも考えられる(と私は思っている)。
そうでなければ607年に聖徳太子が隋の煬帝に「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を至す。恙無きや」と書き送ることもなかったでしょう。
精錬・金属加工なども、当時、東アジア・東南アジアに流通していた技術を取り入れたのであって、中国や朝鮮から「学んだ」わけではないでしょう。建築技術にしてもそう。日本のような発達した木造建築技術は中国にも朝鮮にもないもの。
それに、我々はもっと海洋交易を通じた南方(東南アジア)からの文物・情報の流入に関心をむけてしかるべきだ。日本は明らかに古代から漁業、造船、航海術の発達した国だったし、そうした技術は、中国や朝鮮からではなく、南方(東南アジア)起源。
低俗中国人はよく「漢字」のことを言いますが、ほとんどすべての中国人は、100年前ぐらいまでは、ほとんど「無文字社会」に暮らしてきたことをどう思っているのでしょうかね。「大地主が、農民が文字の読めないことにつけこんで、農民を騙して土地や娘を取り上げてきた」というお話は、かつて中国共産党のオハコだったのに、その歴史的事実も今は「反日」によってウヤムヤなんでしょうか?(笑)
これは メッセージ 85417 (tokagenoheso さん)への返信です.
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