苦しい人民日報の歴史記述-2
投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2005/05/22 12:47 投稿番号: [79388 / 196466]
日清戦争、下関条約締結の結果
清朝の朝鮮に対する「宗主権」放棄(朝鮮独立の承認)
遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲
庫平銀(賠償金)、2億両(テール
約3億円)の支払
新通商条約の締結と最恵国待遇条款
沙市・重慶・蘇州・杭州の開市・開港
条約履行の担保として山東半島の威海衛の一時占領
>1905年の日露戦争以降、日本は中国の旅順、大連を占領した。
なぜ、当時の満州にロシアの大軍が居たのだろう?
なぜ、旅順がロシア海軍の軍港となっていたのだろう?
これらを記述できない人民日報の歴史認識は???
ユーゴの中国大使館誤爆事件での米国大使館への暴動や最近の反日暴動と同様に、中国では国際条約を遵守する姿勢は無く、これは、日本が江戸幕府時代に欧米列強と締結した不平等条約を改正しようと、粘り強く交渉し、改正にこぎつけたのとは対照的である。
中国は1900年の義和団事件(排外暴動)で、政府自身がそれを鎮圧するのではなく、義和団を支援し、最後には欧米に宣戦布告までしてしまった。
それで、英、米、仏、独、露、日が自国民保護の為に出兵をし、義和団を鎮圧した。
この事件で出兵したロシアは軍を引揚げず、以後満州を占領し続け植民地化をすすめようとした。
さらに、朝鮮へも進出(39度線以北の租借権要求)しようと目論見、朝鮮の王朝にも、日本への対抗処置としてロシアを引き込む動きがあった。
ここに日露戦争の原因がある。
日本は日露戦争に勝利した結果
日本が「旅順、大連を占領した」のではなく、中国がロシアに条約で租借させていた権利を、戦勝の結果としてロシアから譲渡されたものである。
これは メッセージ 79337 (wss829200370 さん)への返信です.
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