>いろいろ展開しているな
投稿者: shuji5175 投稿日時: 2005/05/22 02:36 投稿番号: [79304 / 196466]
まずは、いろいろ攻撃されている中で、冷静な返答に感謝いたします。
>白色人種から有色人種は奴隷としてまさしく家畜として扱われてきたのだよ、ということは認めるだろう。
19世紀には「猪子貿易」といって中国人が苦力として黒人奴隷の代わりに取引されていたからね。
いまも白人主導の世界であることには変わらない。
欧米が植民地でインフラを整備し、被支配民に教育をしたかと貴殿は聞いていた。
したのであると回答した。植民地経営に必要だからである。アフリカの奥地に宣教師が布教に行く。原住民に読み書きを教える。彼らを使役して鉄道を敷く。このプロセスに優越感が生まれるのだ。
彼らには、原住民の文化を珍奇なものと見ることはあっても、それ以上の理解はない。万博に先住民が動物のように「展示」されていたこともある。
恥ずべきことに、セントルイス万博ではわが日本は同胞であるべきアイヌ人を「展示」していたのだ。
明治日本が弱肉強食の国際社会で、のっぴきならない状況にあったことは理解できる。
しかし、わたしは大東亜戦争をアジア解放の聖戦という立場には反対する。唯一つ有色人種帝国主義国家日本の侵略と捉える。
日本の世界歴史上に与えたインパクトは「日露戦争勝利」である。ロシアの極東での南下政策を辛くも阻止したのである。
これを境にに世界は激動する。インドではガンジーが糸車をまわし、中国では孫文が登場、トルコでは青年トルコ党革命と近代革命や独立運動の烽火が上がる。
ところで、中国は1912年に辛亥革命が起こり、中華民国が成立する。しかし、袁世凱の皇帝即位に始まる北京の軍閥政府で国政は乱れ、広東に孫文は革命政府を建てた。孫文が「革命いまだならず」と死ぬと。衣鉢を継いだのが蒋介石である。蒋介石は軍閥打倒を目指し北伐を開始するが、それに横槍を入れたのが日本であった。
田中儀一内閣の山東出兵に関東軍の張作霖爆殺である。
蒋介石の国民党軍は反共クーデターを起こしたり問題はあったけれども、軍閥が入り乱れた無政府状態を何とかできる勢力といえよう。
そのあとの満州国の建国(1932年3月)。「五族協和」「王道楽土」の建設を標榜しているが、「最終戦争論」を唱え「満蒙は日本の生命線」規定した石原莞爾ら関東軍の軍人達が満蒙を日本の勢力化に起きたかったからである。軍中央が満蒙領有を難色示したため。満州国の建国という形になったのだ。若槻礼次郎内閣の「不拡大方針」を無視してであるから、軍の暴走である。
同じ年の5月15日犬養毅首相が海軍将校に暗殺される。
とはいえ「日満議定書」で満州国は蒋介石政府に承認されるのだが。
その後、日中戦争、仏印進駐から米国の対日石油禁止措置、「ハルノート」の提示。日米交渉決裂。真珠湾攻撃。と歴史は移る。このプロセスで「白人からのアジア解放」という主義があったのだろうか。日本の国益を巡って政府は動いてなかったのではないかと思うがいかがであろう。
「ハルノート」を飲み込み、撤兵したとしたら、日本はダメになったのだろうか。ベトナムのホーチミンやインドネシアのスカルノの独立運動は実現できなかったのか?歴史にイフは禁物だが、どうなのだろうか。
>白色人種から有色人種は奴隷としてまさしく家畜として扱われてきたのだよ、ということは認めるだろう。
19世紀には「猪子貿易」といって中国人が苦力として黒人奴隷の代わりに取引されていたからね。
いまも白人主導の世界であることには変わらない。
欧米が植民地でインフラを整備し、被支配民に教育をしたかと貴殿は聞いていた。
したのであると回答した。植民地経営に必要だからである。アフリカの奥地に宣教師が布教に行く。原住民に読み書きを教える。彼らを使役して鉄道を敷く。このプロセスに優越感が生まれるのだ。
彼らには、原住民の文化を珍奇なものと見ることはあっても、それ以上の理解はない。万博に先住民が動物のように「展示」されていたこともある。
恥ずべきことに、セントルイス万博ではわが日本は同胞であるべきアイヌ人を「展示」していたのだ。
明治日本が弱肉強食の国際社会で、のっぴきならない状況にあったことは理解できる。
しかし、わたしは大東亜戦争をアジア解放の聖戦という立場には反対する。唯一つ有色人種帝国主義国家日本の侵略と捉える。
日本の世界歴史上に与えたインパクトは「日露戦争勝利」である。ロシアの極東での南下政策を辛くも阻止したのである。
これを境にに世界は激動する。インドではガンジーが糸車をまわし、中国では孫文が登場、トルコでは青年トルコ党革命と近代革命や独立運動の烽火が上がる。
ところで、中国は1912年に辛亥革命が起こり、中華民国が成立する。しかし、袁世凱の皇帝即位に始まる北京の軍閥政府で国政は乱れ、広東に孫文は革命政府を建てた。孫文が「革命いまだならず」と死ぬと。衣鉢を継いだのが蒋介石である。蒋介石は軍閥打倒を目指し北伐を開始するが、それに横槍を入れたのが日本であった。
田中儀一内閣の山東出兵に関東軍の張作霖爆殺である。
蒋介石の国民党軍は反共クーデターを起こしたり問題はあったけれども、軍閥が入り乱れた無政府状態を何とかできる勢力といえよう。
そのあとの満州国の建国(1932年3月)。「五族協和」「王道楽土」の建設を標榜しているが、「最終戦争論」を唱え「満蒙は日本の生命線」規定した石原莞爾ら関東軍の軍人達が満蒙を日本の勢力化に起きたかったからである。軍中央が満蒙領有を難色示したため。満州国の建国という形になったのだ。若槻礼次郎内閣の「不拡大方針」を無視してであるから、軍の暴走である。
同じ年の5月15日犬養毅首相が海軍将校に暗殺される。
とはいえ「日満議定書」で満州国は蒋介石政府に承認されるのだが。
その後、日中戦争、仏印進駐から米国の対日石油禁止措置、「ハルノート」の提示。日米交渉決裂。真珠湾攻撃。と歴史は移る。このプロセスで「白人からのアジア解放」という主義があったのだろうか。日本の国益を巡って政府は動いてなかったのではないかと思うがいかがであろう。
「ハルノート」を飲み込み、撤兵したとしたら、日本はダメになったのだろうか。ベトナムのホーチミンやインドネシアのスカルノの独立運動は実現できなかったのか?歴史にイフは禁物だが、どうなのだろうか。
これは メッセージ 79294 (fyamane さん)への返信です.
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