日中関係

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

江沢民 養父【江世候】の強い影響

投稿者: warp_guide 投稿日時: 2005/05/20 02:12 投稿番号: [78912 / 196466]
情報は複眼視から

養父の強い影響
  図の1は出生から大学卒業までの二十二年間を示してある。 江沢民は一九二六年八月十七日に揚州市で生まれた。 解説書によっては、 江沢民の原籍を安徽省としたのもあるが、 これは祖父の江石渓が清末・明初の頃に安徽省から江蘇省に移転したためだろう。 公式資料では全て江蘇省揚州市になっている。 また、 中国要人は一般的に個人的な資料を公表しないが、 江沢民も同様に不明な部分が多い。 祖父の江石渓は一女六男で計七人、 父親の江世俊も五男と娘一人がいたことが判明しているので、 子供六人以上と多産系の家系のようである。
  江沢民が中共中央のトップに上り詰める過程で、 特に注目されるのは汪道涵との関連だが、 彼と江沢民の関係は養父の江上青が汪道涵と同じ新四軍で戦った戦友であることに始まっている。 江上青は仮名で本名は江世候で、 仮名を用いた理由は恐らく革命運動参加で家族に累を及ぼすのを避けるためだろう。 江上青は中学時代から共産党や共青団の影響を受け、 二八年に十七歳の若さで共青団に参加し、 その後国民党治安当局によって二回逮捕され入獄している。 三〇年には監獄で病気になったために釈放され、 揚州で病気治療に当たりながら中学で教鞭を取っている。 また、 彼は三五年に母范氏の親戚の王者蘭と結婚したが、 自由恋愛でない伝統的な結婚だったという。 彼は蘆溝橋事件後に再び共産党の地下活動に参加し、 国民党軍の中で特別党支部を結成して共産党勢力の拡大に努め、 新四軍の皖東北弁事処の設置で貢献したが、 その過程で匪賊軍の襲撃を受け二十八歳で戦没している。 当時、 江上青は娘二人で跡継ぎがいなかったため、 父親の江世俊が江沢民を江上青の養子としたという。 その後、 王者蘭は上海の銀行に勤めながら三人に良好な高等教育を受けさせている。
  汪道涵は安徽省の出身で上海交通大学を中退した多才人である。 彼は革命運動に参加してから主として部隊で軍需品の調達・生産を担当したと言われる。 彼は同じ多才な先輩江上青と特に親しかったようで、 そのために先輩の養子となった江沢民に特に目に掛けている。 また、 当時新四軍の皖東北弁事処の責任者である張愛萍は、 五三年に第三野戦軍 (三八年に設立された新四軍は四五年に主力が華中野戦軍を編成、 さらに四七年には新四軍を中心に編成した山東野戦軍と合併して華東野戦軍を編成、 四九年に第三野戦軍を編成している) の参謀長も担当した三野の代表的人物だが、 八二年に国防部長を担当した際に文革期に破壊された江上青の墓を再建して墓碑名を揮毫して江上青との関連の深さを示しており、 その養子である江沢民に好意を持っていると見て間違いない。 すなわち、 江沢民は養父江上青の関連で新四軍と三野系の強い支持を得ているのである。

東亜2001年5月号
http://www.kazankai.org/publishing/toa/2001_05/power/01.html
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)