国民の多くが求めるのは毅然とした態度
投稿者: ahorasi55 投稿日時: 2005/05/01 01:24 投稿番号: [74006 / 196466]
先般の高知新聞社説に72年国交回復当時の田中角栄・周温来会談との一幕が紹介されていました。
その骨子は、激論を交わされたこと、さらに今回小泉首相・胡会談と比較・揶揄して「前向きの喧嘩」の必要性が記されている。
これを見たら「土下座外交・金バラマキ外交は何とかならんか小泉さん」とのため息を付いてしまう。
謝罪はしても主張すべきものは毅然と要求することも当然のこと。「中国政府が・・・懸念」との内部圧力を受けての弱腰外交はもう要らん。
興味のある人は参考までに。↓
2005年04月25日 小社会
▼「もう喧嘩は済みましたか」。もし中国の毛沢東主席が生きていたなら、胡錦濤国家主席との会談を終えた小泉首相にも、33年近く前と同じ言葉を掛けただろうか。
▼1972年9月、国交正常化に向けて訪中した田中角栄首相は、周恩来首相と激論を続けた。首相同士の会談だけでも3度を数え、何とか共同声明に見通しがついた日の夕方、田中首相らは前触れなしに毛主席の居宅兼執務室に案内される。首相の手を握りながら、主席が口にしたのが冒頭の言葉だ。
▼それまで敵対的な関係が続いてきたから、日中間には台湾問題をはじめ難問が山ほど。喧嘩さながらのやり取りが交わされたのも無理はない。妥協を重ねながら一致点を見いだす努力を支えたのは、不正常な関係に終止符を打ちたい、という決意だろう。
▼国交正常化以降、最悪の関係ともいわれる中での今回の小泉―胡会談。淡々と主張を述べ合っただけで、熱のこもった議論が行われたふうには見えない。双方ともに現状への危機感はあっても、表面を取り繕うような対話しかできないのではいかにも寂しい。
▼「喧嘩をしなければ仲良くなれません」。毛主席はこう続けた。喧嘩の勧めではないが、前向きの喧嘩ならいかに激しくてもする意味はあろう。
ただし私は、今の中国の横暴外交姿勢と照らし合わせると、田中首相による独断外交によって樹立した日中国交回復自体に疑問を感じている一人です。
井戸を掘ったばかりに昨今のトンでも無い状態、そして大きな懸念があると。(さらにその娘はどうしようもない)
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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