昭和53年合祀
投稿者: apoxy_07 投稿日時: 2005/04/27 00:43 投稿番号: [72080 / 196466]
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/sengodemocracy_yasukuni._goshimondai.htm
筑波教授の父、筑波藤麿氏は、敗戰後、長らく靖國神社宮司を勤めてゐた。その在任中、昭和四十五年(一九七〇)六月三十日、靖國神社總代會で、青木一男元大東亞相の強硬な主張によつて極東軍事裁判A級戰犯を靖國神社に合祀する方針が決められた。ただし、合祀の時期は宮司に任せる、とされた。極東軍事裁判A級戰犯を『戰爭責任者として合祀しないとなると神社の責任は重いぞ』といふ青木一男による脅迫まがいの主張に對して、筑波藤麿宮司は、『ご方針に従う。時期は慎重に考慮したい』と答へ、實施を延ばし、結局、在任中には極東軍事裁判A級戰犯合祀を行はなかつた」、「しかし、靖國神社宮司が松平永芳氏に代って間もなく、昭和五十三年(一九七八)十一月(イ十月)、秘密裏に極東軍事裁判A級戰犯合祀が實施された(それが新聞に報道されたのは翌年四月)。さらに、昭和六十年(一九八五)八月、中曾根康弘總理大臣が靖國神社への公式參拜を行ひ、日本國の内外に問題が生じるに至つたこと、既に周知の通りであらう」、「昭和天皇の侍從長を勤めた徳川義寛氏は、この極東軍事裁判A級戰犯合祀について、『筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね』と、松平永芳宮司の措置を批判的に語ってゐる」。
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