慰安婦について
投稿者: superuser072 投稿日時: 2005/04/23 08:09 投稿番号: [69173 / 196466]
そもそもの発端は吉田清治と言う老人の(私の戦争犯罪)て本。国内の左翼、特に朝日新聞の当時の反応は早く、オススメの1冊として論評も絶賛。
おかげでそれなりに売り上げも伸ばし、彼はその儲けを基に韓国旅行に旅立ち、大きな(謝罪の碑)も建立し、出版した本自体は朝日の関係者(韓国系日本人)から、韓国出版社に(日本で話題の韓国に関する本)として紹介され、既に別ルートからの韓国へのアプローチもあり、すんなりと韓国語版が発行された。
内容のメイン、女子挺身隊200名を集めたと言う場所、済州島の住民らによる抗議(そんな事実はないと言う)も日本国内のNHK他一部報道で成されたが、韓国内で報道された事実はなく、その後も主に朝日新聞が韓国内での本の発売を契機に、記事として(吉田本)をクローズアプし始め、これに呼応する形で日本国内の左派運動家(当時の社会党他の議員を含む)が韓国内でマスコミを通じて(被害者募集)を開始する。
当時の日本ではこの件に関し朝日以外は割と冷ややかである。
何故ならば、当時日本は、特に1980年代初頭より韓国国内におけるキーセン旅行(売春ツアー)が盛んで、韓国のGNPの実に5%はこの業界によるものであり、戦後の日本の男達が行う海外旅行の主力分野でもある。
そしてやがて東京地裁に韓国での募集により集めた被害者を伴い左派運動家団体が裁判を起こすに至り、初めてマスコミが騒ぎ出した。
その後、この問題は国会にも飛び火し、裁判内容と同じく、吉田本を楯に社会党議員が政府に詰め寄る事態を招いた。
この段階で政府側が反証を怠り、答弁のみの軍部無関係を発言、それに終始した事が、国対国の問題に発展させたい左翼の朝日新聞は好機と捉えた。
当の韓国は反日を核とした自国のナショナリズムの強化を唱えており、1979年の朴大統領暗殺や1980年の10万人デモや暴動を経て、国民の反日教育化に絶好の好機と捉え、ここに反日としての共通項が生まれた。
そして1992年1月11日の朝日新聞朝刊(慰安所、軍関与示す資料。防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌。部隊に設置指示。募集含め統制・監督。民間任せ、政府見解揺らぐ。)の文字が派手に出た。
そのタイミングは実に当時の宮沢首相の韓国訪問5日前。
飛行機の到着時刻まで事前に知らされていた、横断幕を掲げた韓国側自称被害者達とその被害者擁護団体(日本からの支援団体を含む)、当然事前から到着時刻を知る日本と韓国のマスコミ関係者からなる涙と怒号の首相出迎え中継となる。
しかし今見ても見事なすり替えとしか言いようがない。
その唯一の資料として朝日新聞が掲載した軍関与を示す資料とは、(日本軍の北支方面軍、中支方面軍の参謀長宛ての通達として、内地での慰安所設置時にも慰安婦の募集時に、軍部が誤解されるような半ば強引な民間の募集に仕する者があり、軍の威信を傷つけ誤解を招いた経緯があるので、不統制に外地の募集をさせず、募集に仕する者の人選を厳しくし、募集の方法が誘拐に等しい場合は警察による検挙・取調べを行わせ、将来の外地での募集に際しては、日本からの派遣軍により、募集に仕する人物の選定をより周到適切に行うように、憲兵警察とも連携してくれぐれも日本軍の威信を落とさないように配慮すべし。)とあるのがこの文面なのだ。
つまり朝日新聞は、強制連行が起きないように、軍が各方面を通じて慰安婦斡旋業者の取り締まり厳しくを行う。から、強制連行と言う出来事に軍が関与した。と、すり替えた。
ちなみにこの資料、当時、中央大学の日本現代史教授を務めていた吉見義明氏の防衛研究所図書館から発見した資料であるが、(従軍慰安婦資料集)として、大月書店からその後発行されているので、気になる人は確認されたら良い。
さらに加えて、女子挺身隊とは、当時の日本国内はもとより台湾や朝鮮半島他でも全て軍需工場等への勤労動員を指すもので、たとえば台湾では今も(挺身隊や女子挺身隊の集会)が盛況にホテルのホール等を貸切り行われている。
当の韓国でもその昔は、日韓併合したにも関わらず、(何故、日本は我々を軍に徴兵しないのか!)と果ては朝鮮語の廃止までも総督府に直訴したりしていたが、当時の朝鮮では日本人として軍務に就きたいが就けず、1938年陸軍特別志願兵制が実施されるや朝鮮の志願者が遥かに多く、採用された彼らは家の誉れとして大変な名誉とされた。
そうなると残された志願者は、やはり朝鮮人は日本軍に入れて貰えないのかと言う屈辱があり、1942年朝鮮人徴兵制が伝えられるや朝鮮は沸いた。
そう言う時代でもある。
おかげでそれなりに売り上げも伸ばし、彼はその儲けを基に韓国旅行に旅立ち、大きな(謝罪の碑)も建立し、出版した本自体は朝日の関係者(韓国系日本人)から、韓国出版社に(日本で話題の韓国に関する本)として紹介され、既に別ルートからの韓国へのアプローチもあり、すんなりと韓国語版が発行された。
内容のメイン、女子挺身隊200名を集めたと言う場所、済州島の住民らによる抗議(そんな事実はないと言う)も日本国内のNHK他一部報道で成されたが、韓国内で報道された事実はなく、その後も主に朝日新聞が韓国内での本の発売を契機に、記事として(吉田本)をクローズアプし始め、これに呼応する形で日本国内の左派運動家(当時の社会党他の議員を含む)が韓国内でマスコミを通じて(被害者募集)を開始する。
当時の日本ではこの件に関し朝日以外は割と冷ややかである。
何故ならば、当時日本は、特に1980年代初頭より韓国国内におけるキーセン旅行(売春ツアー)が盛んで、韓国のGNPの実に5%はこの業界によるものであり、戦後の日本の男達が行う海外旅行の主力分野でもある。
そしてやがて東京地裁に韓国での募集により集めた被害者を伴い左派運動家団体が裁判を起こすに至り、初めてマスコミが騒ぎ出した。
その後、この問題は国会にも飛び火し、裁判内容と同じく、吉田本を楯に社会党議員が政府に詰め寄る事態を招いた。
この段階で政府側が反証を怠り、答弁のみの軍部無関係を発言、それに終始した事が、国対国の問題に発展させたい左翼の朝日新聞は好機と捉えた。
当の韓国は反日を核とした自国のナショナリズムの強化を唱えており、1979年の朴大統領暗殺や1980年の10万人デモや暴動を経て、国民の反日教育化に絶好の好機と捉え、ここに反日としての共通項が生まれた。
そして1992年1月11日の朝日新聞朝刊(慰安所、軍関与示す資料。防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌。部隊に設置指示。募集含め統制・監督。民間任せ、政府見解揺らぐ。)の文字が派手に出た。
そのタイミングは実に当時の宮沢首相の韓国訪問5日前。
飛行機の到着時刻まで事前に知らされていた、横断幕を掲げた韓国側自称被害者達とその被害者擁護団体(日本からの支援団体を含む)、当然事前から到着時刻を知る日本と韓国のマスコミ関係者からなる涙と怒号の首相出迎え中継となる。
しかし今見ても見事なすり替えとしか言いようがない。
その唯一の資料として朝日新聞が掲載した軍関与を示す資料とは、(日本軍の北支方面軍、中支方面軍の参謀長宛ての通達として、内地での慰安所設置時にも慰安婦の募集時に、軍部が誤解されるような半ば強引な民間の募集に仕する者があり、軍の威信を傷つけ誤解を招いた経緯があるので、不統制に外地の募集をさせず、募集に仕する者の人選を厳しくし、募集の方法が誘拐に等しい場合は警察による検挙・取調べを行わせ、将来の外地での募集に際しては、日本からの派遣軍により、募集に仕する人物の選定をより周到適切に行うように、憲兵警察とも連携してくれぐれも日本軍の威信を落とさないように配慮すべし。)とあるのがこの文面なのだ。
つまり朝日新聞は、強制連行が起きないように、軍が各方面を通じて慰安婦斡旋業者の取り締まり厳しくを行う。から、強制連行と言う出来事に軍が関与した。と、すり替えた。
ちなみにこの資料、当時、中央大学の日本現代史教授を務めていた吉見義明氏の防衛研究所図書館から発見した資料であるが、(従軍慰安婦資料集)として、大月書店からその後発行されているので、気になる人は確認されたら良い。
さらに加えて、女子挺身隊とは、当時の日本国内はもとより台湾や朝鮮半島他でも全て軍需工場等への勤労動員を指すもので、たとえば台湾では今も(挺身隊や女子挺身隊の集会)が盛況にホテルのホール等を貸切り行われている。
当の韓国でもその昔は、日韓併合したにも関わらず、(何故、日本は我々を軍に徴兵しないのか!)と果ては朝鮮語の廃止までも総督府に直訴したりしていたが、当時の朝鮮では日本人として軍務に就きたいが就けず、1938年陸軍特別志願兵制が実施されるや朝鮮の志願者が遥かに多く、採用された彼らは家の誉れとして大変な名誉とされた。
そうなると残された志願者は、やはり朝鮮人は日本軍に入れて貰えないのかと言う屈辱があり、1942年朝鮮人徴兵制が伝えられるや朝鮮は沸いた。
そう言う時代でもある。
これは メッセージ 69079 (ijiwaru_shinaidene さん)への返信です.
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