日中関係

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事実

投稿者: julunta2024 投稿日時: 2005/04/18 23:29 投稿番号: [63175 / 196466]
  東京裁判はその判決文でこうきめつけている。

  日本兵は同市(南京市)を荒し汚すために、まるで野蛮人の一団のやうに放たれた。・・・兵隊はここに、または二三人の小さい集団で全市内を歩き回り、殺人、強姦、略奪、放火を行った。そこには何の規律もなかった。多くの兵は酔っていた。それらしい挑発も口実もないのに、中国人の男女子どもを無差別に殺しながら、兵は町を歩き回り、ついには所によって大通りや裏通りに被害者の死体が散乱したほどであった。後日の見積もりによれば、日本軍が占領してから最初の六週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は二十万以上であったことが示されている。

  これが「虐殺派」の「二〇万以上」の根拠とされているのであるが、「占領してから最初の六週間」といえば、松井大将が二回目の視察を行った前日、つまり二月三日までこの地獄図のような状態が続いたという計算になる。


  ※しかし、現実はどうかというと、


  (南京市は)ちょうど鎌倉市の広さである。この狭い地域に腕ききの新聞・雑誌・ラジオ・映画等のカメラマンや従軍記者一二〇名が取材に当ったのである。各大手新聞社や通信社は戦前から支局があり、記者は南京の地理にも明るかった。また大宅壮一、木村毅、西条八十といった高名な文筆家も入城していた。大宅は東京日日新聞社の特派員の団長の形で、同社の特派記者やカメラマン約三〇余名を引きつれて市内の旧支局に乗り込んでいる。各部隊が南京一番乗りを競ったように、彼らもまた狭い南京城内で特ダネを競いあったのである。
  東京裁判によると、初めの一週間に児女をふくむ六万五、〇〇〇人の中国人が虐殺され、日本軍による計画的な放火・掠奪・強姦・殺戮の悪魔の饗宴がピークに達し、それがしかも四十日間も続いたと云う。これだけの血なまぐさい大惨劇が連日行われたというのに、一二〇人もの従軍記者や特派員カメラマンのだれ一人として目撃した者もおらず、噂すら聞いた者もいないということは、いったいどう解釈したらいいのか。
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