>★沖縄戦2 >★沖縄戦1
投稿者: gezywibpq 投稿日時: 2005/04/18 20:56 投稿番号: [62650 / 196466]
>①チビチリガマと集団自決
米軍上陸直後に「集団自決」が起こったチビチリガマのある読谷村で「戦跡ガイド」をしている50代の婦人は、「原爆投下は戦争終結に必要なかった」という展示に加え「戦争終結に沖縄戦は必要なかった」「基地略奪のための大殺りく」というアメリカの野望に満ちた戦争目的にきわめて大きな衝撃を受けていた。
「チビチリガマの“集団自決”は、アメリカ軍が攻めてきたこともあるけれど、それよりまえに日本の軍国主義教育によって、出ていったらひどい目にあわされたり辱められたりするから、自決した方がよいという教育がそうさせた、悪いのはアメリカ軍ではなくて日本軍だと聞いていた。でも一般のオジイ、オバアはほんとうのことを話そうとしてくれない。戦争体験のないわたしたちが、どうやって子どもにもわかるように話せばよいかと悩んでいた」というのだった。
読谷村史編集室による資料を見ても、「アメリカ軍上陸直後に、壕の中から男女3人が竹やりを持って出て行き、男2人が壕の前でバタッと倒れた。すると壕内の住民は絶望感でパニックにおちいり、集団死がはじまる」と、はっきり証言されている。
確かに「集団自決」があったチビチリガマとは対照的に、少し離れたところにあるシムクガマでは、ハワイ帰りの人が「アメリカ人は人を殺さない」と説得して投降に導き、1000人前後の避難民の命が助かった。しかし、だからといって「チビチリガマの住民はあの時代の教育を信じていたから救われなかった」というのでは、「“教育勅語”を真に受けたオジイやオバアが悪い戦争をやったから、原爆を落とされてもしかたがなかった」というのと同じことである。米兵から「出て来い」といわれても、それまで米軍に惨殺される多数の同胞を見ていたため、恐ろしくて足がすくんでいるところへ、手榴弾や爆弾を投げこまれて皆殺しにされたという話は無数にあるのだ。
沖縄戦では、追いつめられた日本軍が、住民をスパイ容疑で殺害したり、集団自決に追いこむことが事実としてあった。それは軍国主義のもたらしたものであり、日本の軍隊が国民を守るものではなく、天皇の支配を守る軍隊であったことを示している。
しかし天皇と軍国主義を激しく憎めば憎むほど、国民を軍国主義教育によって戦場にかりたてた天皇と支配層が、戦後てのひらを返したように隷属していったアメリカの「民主主義」や「人道主義」に感謝する側から、軍国主義教育を信じた国民がばか者であったと罵倒されて、どうして体験を語る気になるだろうか。それこそ戦没者にたいする冒涜でなくしてなんであろうか。
沖縄沖を真黒になるほど埋めつくしたアメリカ軍の艦隊司令官バルゼーは「ジャップを殺して殺しまくれ。もしみんなが自分の任務を立派に遂行すれば、各人が黄色い野郎どもを殺すのに寄与することになるのだ」と檄(げき)を飛ばした。都市全体を無差別に焼き払う絨毯(じゅうたん)爆撃の創始者であるルメイ少将は「日本を打倒して暗黒時代に逆もどりさせる」と豪語していた。そして米軍はそのとおりの残虐行為をはたらいた。北谷町美浜に上陸した米軍部隊は、女・子どもの区別もなく無差別の皆殺しをおこない、遺体を股裂きにして海に投げこんだ。「それを目撃した人人が、声をあげて泣きながら逃げてくるのを見た」という人がいる。読谷村でも「友軍が上陸してきたと思って歓迎に出た住民が皆殺しにされた」という話を聞いている。
また沖縄市の70代の婦人は「親せきといっしょに13人で伊計島から国頭へ船で避難するとき、日本の特攻機がアメリカの軍艦に体当たりした。するとアメリカが反撃をはじめたので、“攻撃されたらたいへんだ”と10歳の弟が降参旗を振ったが、アメリカは容赦なく艦砲を撃ちこんできた。弟は撃たれて海にほうり出され、親たちが海に飛びこんで捜したが見つからなかった。残ったものが必死に手を振って“助けてくれ”と叫んでいるにもかかわらず、民間人だとわかっているのに、今度は機銃掃射をやってきた。弟がどんな思いで亡くなったか、思い出しても腹がたつ」と、煮えたぎるように語っていた。
「アメリカ軍は人を殺さない」といわれても、それを信じるのは、博打にかけるのも同然であった。基地略奪を目的としたアメリカ侵略軍の残虐きわまりない無差別攻撃が、沖縄住民をどれほど極限的な絶望状態へ追いこんだか、それは明らかなことだった。
左翼の腐った脳味噌では受け付けられんか(ププッ
米軍上陸直後に「集団自決」が起こったチビチリガマのある読谷村で「戦跡ガイド」をしている50代の婦人は、「原爆投下は戦争終結に必要なかった」という展示に加え「戦争終結に沖縄戦は必要なかった」「基地略奪のための大殺りく」というアメリカの野望に満ちた戦争目的にきわめて大きな衝撃を受けていた。
「チビチリガマの“集団自決”は、アメリカ軍が攻めてきたこともあるけれど、それよりまえに日本の軍国主義教育によって、出ていったらひどい目にあわされたり辱められたりするから、自決した方がよいという教育がそうさせた、悪いのはアメリカ軍ではなくて日本軍だと聞いていた。でも一般のオジイ、オバアはほんとうのことを話そうとしてくれない。戦争体験のないわたしたちが、どうやって子どもにもわかるように話せばよいかと悩んでいた」というのだった。
読谷村史編集室による資料を見ても、「アメリカ軍上陸直後に、壕の中から男女3人が竹やりを持って出て行き、男2人が壕の前でバタッと倒れた。すると壕内の住民は絶望感でパニックにおちいり、集団死がはじまる」と、はっきり証言されている。
確かに「集団自決」があったチビチリガマとは対照的に、少し離れたところにあるシムクガマでは、ハワイ帰りの人が「アメリカ人は人を殺さない」と説得して投降に導き、1000人前後の避難民の命が助かった。しかし、だからといって「チビチリガマの住民はあの時代の教育を信じていたから救われなかった」というのでは、「“教育勅語”を真に受けたオジイやオバアが悪い戦争をやったから、原爆を落とされてもしかたがなかった」というのと同じことである。米兵から「出て来い」といわれても、それまで米軍に惨殺される多数の同胞を見ていたため、恐ろしくて足がすくんでいるところへ、手榴弾や爆弾を投げこまれて皆殺しにされたという話は無数にあるのだ。
沖縄戦では、追いつめられた日本軍が、住民をスパイ容疑で殺害したり、集団自決に追いこむことが事実としてあった。それは軍国主義のもたらしたものであり、日本の軍隊が国民を守るものではなく、天皇の支配を守る軍隊であったことを示している。
しかし天皇と軍国主義を激しく憎めば憎むほど、国民を軍国主義教育によって戦場にかりたてた天皇と支配層が、戦後てのひらを返したように隷属していったアメリカの「民主主義」や「人道主義」に感謝する側から、軍国主義教育を信じた国民がばか者であったと罵倒されて、どうして体験を語る気になるだろうか。それこそ戦没者にたいする冒涜でなくしてなんであろうか。
沖縄沖を真黒になるほど埋めつくしたアメリカ軍の艦隊司令官バルゼーは「ジャップを殺して殺しまくれ。もしみんなが自分の任務を立派に遂行すれば、各人が黄色い野郎どもを殺すのに寄与することになるのだ」と檄(げき)を飛ばした。都市全体を無差別に焼き払う絨毯(じゅうたん)爆撃の創始者であるルメイ少将は「日本を打倒して暗黒時代に逆もどりさせる」と豪語していた。そして米軍はそのとおりの残虐行為をはたらいた。北谷町美浜に上陸した米軍部隊は、女・子どもの区別もなく無差別の皆殺しをおこない、遺体を股裂きにして海に投げこんだ。「それを目撃した人人が、声をあげて泣きながら逃げてくるのを見た」という人がいる。読谷村でも「友軍が上陸してきたと思って歓迎に出た住民が皆殺しにされた」という話を聞いている。
また沖縄市の70代の婦人は「親せきといっしょに13人で伊計島から国頭へ船で避難するとき、日本の特攻機がアメリカの軍艦に体当たりした。するとアメリカが反撃をはじめたので、“攻撃されたらたいへんだ”と10歳の弟が降参旗を振ったが、アメリカは容赦なく艦砲を撃ちこんできた。弟は撃たれて海にほうり出され、親たちが海に飛びこんで捜したが見つからなかった。残ったものが必死に手を振って“助けてくれ”と叫んでいるにもかかわらず、民間人だとわかっているのに、今度は機銃掃射をやってきた。弟がどんな思いで亡くなったか、思い出しても腹がたつ」と、煮えたぎるように語っていた。
「アメリカ軍は人を殺さない」といわれても、それを信じるのは、博打にかけるのも同然であった。基地略奪を目的としたアメリカ侵略軍の残虐きわまりない無差別攻撃が、沖縄住民をどれほど極限的な絶望状態へ追いこんだか、それは明らかなことだった。
左翼の腐った脳味噌では受け付けられんか(ププッ
これは メッセージ 62391 (apoxy7 さん)への返信です.
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