優しすぎる日本人
投稿者: ishiis1512 投稿日時: 2005/04/18 10:23 投稿番号: [61425 / 196466]
http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html
こちらのソースであることを示しておきます。
>徳川義寛「侍従長の遺言」より
この人は昭和天皇の侍従長をされた方で、
玉音放送の時にも、側にいて一部始終を記録されています。
> 昭和十二年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたということは、私は当時から知っていました。中国人捕虜を数珠つなぎにして撃ち殺すとか・・・。私の大学の友人で軍医だったのが、朝香宮さまのお供で現地へ行って見聞した話を、私は聞いていたからです。
捕虜というのを一部の人は、虐殺と勘違いする人もいるようですが、
馬賊、山賊、便衣兵(ゲリラ)等の、『中国人民を虐殺した連中』。
強盗、略奪、放火、強姦、子供の手足を切ったり、妊婦の腹を裂いたりと、
したいほうだいをした連中ですから、当然の事です。
ただ、そういう連中でも捕虜と書き、ひどいことをしたと思うのは、
殺戮を嫌う日本人の性癖でしょう。
> それに、南京攻略の総大将松井石根さんは名古屋の人で、私の母(徳川寛子)が松井さんの奥さんをよく知っていましたし、私の父(義恕)は名古屋の軍人の会の会長をしていましたから。
> 松井さんは中国の勤務が長く、南京攻略後、「相手の死者も浮かばれまい」と、現地で日中両方の死者の慰霊祭をやろうとした。ところが、下の師団長クラスの連中に笑われ反対されたということでした。みな、「戦争なんだからそういうこともあっても・・・」といった感じだったそうです。
これなど凄い事で、戦争中に相手の死者を悼むというのは、
他所では考えられない話です。殺し合いの最中なんですから。
もし、中国共産党でこんな話を出したら最後、
スパイ扱いされて上級幹部でも殺されかねません。
ちなみに、戦後の捕虜の扱いはひどく良かったとのことですが、
戦時中は捕虜以前の問題でしたからね。
戦時中のことを言われては困るために、
ころっと態度を変えたのをどう見ます?。
> 松井さんは日露戦争も経験していたから、日本の捕虜の扱いが日露の頃は丁重だったことをよく知っていた。しかし、南京では、上の言うことを下が聞かず、軍紀の抑えがきかなくなっていた。それで松井さんは後に熱海に興亜観音を造った。松井さんは立派だったと思いますね。
捕虜を殺さざる得ないということは、やんごとなき方々には苦痛だったでしょうが、
少なくともロシア軍は軍人でした。
山賊や馬賊、軍と言うには恥ずかしい便衣兵(ゲリラ)の群れ、
はっきり言って、捕虜という言葉すらもったいない。
便衣兵の衣服は、中国人民を殺して剥いだ衣服だったということからも、
これは殺されても文句は言えません。
> 南京虐殺があったとか無かったとか論争があるようですが、当時も関係者の多くは事実を知っていたんです。陛下が知っておられたかどうかはわかりませんが、折に触れて「日露戦争の時の軍と違う」ということはおっしゃっていました。明治天皇のご事蹟をよく知っておられましたから。
まさに、ここが苦痛の原点なんですね。
日露戦争とは事情が違い、捕虜を殺さざるえなかったという苦悩、
それを、自ら虐殺といい、もっといい方法は無かったのだろうかと悩む心、
これをどう見るかは皆さんで考えていただきたいです。
『優しさはむごさにも通じる』
昔読んだ本の一節です。
(「侍従長の遺言」 P38〜P39)
ちなみに、スイスにも一人の夫人の銅像があります。
年端も行かぬドイツの少年兵をかくまい、リンチで殺された夫人です。
のちに、人々はそれを恥じて、銅像を作りました。
文革で大勢の同胞を虐殺した中国共産党、
過去までさかのぼって、日本とかかわりを持った同胞をつるし上げる韓国、
はたして彼らに、その心を感じる日が来るのでしょうか?。
こちらのソースであることを示しておきます。
>徳川義寛「侍従長の遺言」より
この人は昭和天皇の侍従長をされた方で、
玉音放送の時にも、側にいて一部始終を記録されています。
> 昭和十二年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたということは、私は当時から知っていました。中国人捕虜を数珠つなぎにして撃ち殺すとか・・・。私の大学の友人で軍医だったのが、朝香宮さまのお供で現地へ行って見聞した話を、私は聞いていたからです。
捕虜というのを一部の人は、虐殺と勘違いする人もいるようですが、
馬賊、山賊、便衣兵(ゲリラ)等の、『中国人民を虐殺した連中』。
強盗、略奪、放火、強姦、子供の手足を切ったり、妊婦の腹を裂いたりと、
したいほうだいをした連中ですから、当然の事です。
ただ、そういう連中でも捕虜と書き、ひどいことをしたと思うのは、
殺戮を嫌う日本人の性癖でしょう。
> それに、南京攻略の総大将松井石根さんは名古屋の人で、私の母(徳川寛子)が松井さんの奥さんをよく知っていましたし、私の父(義恕)は名古屋の軍人の会の会長をしていましたから。
> 松井さんは中国の勤務が長く、南京攻略後、「相手の死者も浮かばれまい」と、現地で日中両方の死者の慰霊祭をやろうとした。ところが、下の師団長クラスの連中に笑われ反対されたということでした。みな、「戦争なんだからそういうこともあっても・・・」といった感じだったそうです。
これなど凄い事で、戦争中に相手の死者を悼むというのは、
他所では考えられない話です。殺し合いの最中なんですから。
もし、中国共産党でこんな話を出したら最後、
スパイ扱いされて上級幹部でも殺されかねません。
ちなみに、戦後の捕虜の扱いはひどく良かったとのことですが、
戦時中は捕虜以前の問題でしたからね。
戦時中のことを言われては困るために、
ころっと態度を変えたのをどう見ます?。
> 松井さんは日露戦争も経験していたから、日本の捕虜の扱いが日露の頃は丁重だったことをよく知っていた。しかし、南京では、上の言うことを下が聞かず、軍紀の抑えがきかなくなっていた。それで松井さんは後に熱海に興亜観音を造った。松井さんは立派だったと思いますね。
捕虜を殺さざる得ないということは、やんごとなき方々には苦痛だったでしょうが、
少なくともロシア軍は軍人でした。
山賊や馬賊、軍と言うには恥ずかしい便衣兵(ゲリラ)の群れ、
はっきり言って、捕虜という言葉すらもったいない。
便衣兵の衣服は、中国人民を殺して剥いだ衣服だったということからも、
これは殺されても文句は言えません。
> 南京虐殺があったとか無かったとか論争があるようですが、当時も関係者の多くは事実を知っていたんです。陛下が知っておられたかどうかはわかりませんが、折に触れて「日露戦争の時の軍と違う」ということはおっしゃっていました。明治天皇のご事蹟をよく知っておられましたから。
まさに、ここが苦痛の原点なんですね。
日露戦争とは事情が違い、捕虜を殺さざるえなかったという苦悩、
それを、自ら虐殺といい、もっといい方法は無かったのだろうかと悩む心、
これをどう見るかは皆さんで考えていただきたいです。
『優しさはむごさにも通じる』
昔読んだ本の一節です。
(「侍従長の遺言」 P38〜P39)
ちなみに、スイスにも一人の夫人の銅像があります。
年端も行かぬドイツの少年兵をかくまい、リンチで殺された夫人です。
のちに、人々はそれを恥じて、銅像を作りました。
文革で大勢の同胞を虐殺した中国共産党、
過去までさかのぼって、日本とかかわりを持った同胞をつるし上げる韓国、
はたして彼らに、その心を感じる日が来るのでしょうか?。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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