謝罪、謝罪というけれど
投稿者: sabosuke924 投稿日時: 2005/04/13 15:12 投稿番号: [51564 / 196466]
今の中国の体制に対してどのように謝罪しようが納得しないように思う。納得してしまうと最大の外交カードを失うことになるから。
確かにこれまで謝罪を行っても台無しにするような態度、発言が特定の政治家により繰り返されて来たのは事実だし、そういった政治家を選んだ日本人にも問題はある。ODAにしても目的が不明瞭のまま払い続けてきたことでメッセージが伝わっていないことも日本側の責任がないとはいえない。でもその一方で謝罪に値することを国民に伝えず自分たちの体制維持、そして最大の外交カード維持のために情報操作を行っていた中国政府の姿勢にも問題があるのでは?だからこの問題は両国の人たちがいくら話してもかみ合わないのではと思ってしまう。
中国の人たちにわかってもらいたいのは、多くの日本人は謝罪を拒否しているのではないということ、正直どう謝れば良いのかわからないということである。日本人にもプライドはある。卑屈な形での謝罪を行うのは納得できないし、それは今後の関係構築にプラスにならない。今の体制に対して日本がどう謝ろうが無駄なものとされてしまう。
日中ともに過去をしっかりと検討することができる関係が問題解決には何よりも必要なんだ。その素地(国家体制)を中国市民の手で作ってもらいたい。私も、誠意を持った対応ができる国を作る努力をしていくつもりだから。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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