何たって、
投稿者: apoxy7 投稿日時: 2005/04/12 13:03 投稿番号: [49708 / 196466]
国民党は重慶だったが、
共産党は延安にあった。
華北で戦ったのは、共産党。
百団大戦
http://heiwa2.hp.infoseek.co.jp/sinryaku/s07.html
日本軍の占領区域の拡大が進む一方、中国共産党の勢力も伸びていった。共産党に指導された八路軍は、住民と密着して抗日根拠地をつくり、解放区(共産党の支配する辺区)を育てあげた。民衆の強い支援を受けた共産ゲリラは、いたるところで鉄道、道路を分断するなど日本軍の背後をおびやかし、日本軍はその精カの大部分を、これらゲリラの掃蕩に費やさねばならなくなった。
1940年8月には八路軍によって大規模な作戦が展開された。河北と山西を結ぶ正太鉄路を中 心に、全華北の交通網と駐屯する日本軍に対し、百十五個連隊(団)40万の総攻撃がかけられた のである。これは「百団大戦」と呼ばれ、12月までの間に、日本軍は大きな打撃を受けた。
この「百団大戦」から日本軍は八路軍と抗日根拠地の実力を認識するようになった。
ここにいたり日本軍は、八路軍・抗日根拠地の掃蕩の必要性を痛感し、それに集中するようになった。一般に三光作戦の始まりは、これが契機だとする説が多い。
②三光作戦の展開
「百団大戦」で痛撃を受けた日本軍は、解放区にむけて、女・子どもを含む全住民皆殺しを徹底的に敢行する作戦を展開した。これが「三光作戦」であった。「三光」とは中国語で、「殺光」(殺しつくす)、「略光」(奪いつくす)、「焼光」(焼きっくす)を意味する。日本軍では燼滅(じんめつ)作戦と呼ばれた。
これは メッセージ 49705 (guest11111111111111111111 さん)への返信です.
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