司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』
投稿者: conent_man 投稿日時: 2005/04/12 03:12 投稿番号: [49498 / 196466]
司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』と言う作品があります。
日清戦争前から日露戦争後までを描いた作品です。
日本が坂の上に漂う雲(西欧)を目指しあるときは背伸びをし、
あるときは泥にまみれながらも進んできた一つの歴史小説です
岩倉使節団の帰国後、外国人がひそかに馬鹿にしていた「ちょんまげ」も禁止し
見た目から欧化していきました。
たかが「ちょんまげ」と言うが、当時としては大問題で
妻に相談せず勝手に落としたため離縁された男もいる。
いつまで経っても断髪令が守られないため木戸孝光が明治帝に具申し、
まず明治帝自らが断髪した。
それは「ちょんまげ」だけの問題でなく「文明開化」と言う意識を国民に持たせる大きな働きをしたんですよね
福沢諭吉の「脱亜入欧」の考えもこの頃に確立し、
滑稽なほど国際正義を守り、悲しいほどに『西欧』にあこがれた時代です。
日本海海戦の捕虜や旅順の捕虜に対しこれでもかと言うほど厚遇した話は
あまりに有名です。
今思えば「なんでそこまで」という気がしますが当時はそれほどに危機意識があり、上方志向が強かったのです
「追いつけ追いつけ…そして追い越せ」ですね
でも、そのおかげで日本は比較的早く不平等条約から抜けられ、
末端ではあるが世界の国から認められたのです。
もちろん現実は内患外憂の状態でしたがとにもかくにも
一等国の仲間入りは出来たのです(末席のさらにスミでしたが)
当時中国はまだ辮髪をつけ中国独特の服を着、政治システムも旧来古来のままで、
中華思想に凝り固まって
(中国は竜の頭で中国から離れるほど尻尾になり劣った国であると言う意識)
頑なに新しいものを取り入れることをしなかったため
結果的に広大な土地に貧弱な政治しか育たず、それが結果的に今にいたっています。
また土地が広大すぎたため地方に住んでる人たちには「自分は中国人である」と言う意識が薄く、
また中央の官吏、軍人にも遠く離れた地方の人のことを、同じ国の人と言う意識が無かったため、
戦争中、中国軍(毛沢東軍)が同じ中国人の村を略奪すると言う現象が起こった。
因みに日本にも似たことがあります
日本の敗北が決定的になり
アメリカ軍が上陸してくるかもと言う時、宇都宮(?)の陸軍参謀にある下級将校が質問した。
「米軍が関東地方に上陸してきた時、街道は避難民でいっぱいになります。
どうすれば良いですか」
と言う質問
参謀は一瞬の考えの後
「ひき殺していけ」
と答えたそうです。
軍人と言う部分では正直どっちもどっちですね
中国の悪いところは、新しい考え、思想(イデオロギーと言って良いのかな)が出来ると
その前の文化、思想をすべて否定してしまうんですね。
ラストエンペラーと言う映画の最後の方でわかりやすく描かれてます。
そのため新しい思考が出来るとすべて一から作らなければならず、
熟成した観念形態が育たないんですね。
その度にその時代に都合のいいルールが出来てしまいます。
当然密室で作られるためそこにいる人にとって都合の良いルールです
たとえその前の社会で有能だった人でも、ひどいときには処刑、よくて島流しです。
ここが日本と中国の最大の違いです。
明治維新後、新政府は元幕府の官吏であっても有能と思われた人は採用しましたね
もちろん人数は少ないですが処刑まではされませんでした。
有名所では榎本武明、大鳥圭介でしょうか
結局中国は未成熟なイデオロギーの中で政府がきちんとした教育を受けさせないシステムで
扱いやすい国民を作ろうとしてたがインターネットや隙間風のように入ってくる情報まで管理できず、
また中途半端に情報に浸された国民は政府のプロパガンダに踊らされ
自分の脳を使って物事を考えず、善悪さえつかない人間に仕上げられています。
因みにこの書き込みにあたっては司馬量太郎の「この国のかたち」
NHK「そのとき歴史は動いた」を参考にしてます
但しほとんどは自分の考えに基づくものです
「ここ違うぞ」と言うところがあればご指摘願います
日清戦争前から日露戦争後までを描いた作品です。
日本が坂の上に漂う雲(西欧)を目指しあるときは背伸びをし、
あるときは泥にまみれながらも進んできた一つの歴史小説です
岩倉使節団の帰国後、外国人がひそかに馬鹿にしていた「ちょんまげ」も禁止し
見た目から欧化していきました。
たかが「ちょんまげ」と言うが、当時としては大問題で
妻に相談せず勝手に落としたため離縁された男もいる。
いつまで経っても断髪令が守られないため木戸孝光が明治帝に具申し、
まず明治帝自らが断髪した。
それは「ちょんまげ」だけの問題でなく「文明開化」と言う意識を国民に持たせる大きな働きをしたんですよね
福沢諭吉の「脱亜入欧」の考えもこの頃に確立し、
滑稽なほど国際正義を守り、悲しいほどに『西欧』にあこがれた時代です。
日本海海戦の捕虜や旅順の捕虜に対しこれでもかと言うほど厚遇した話は
あまりに有名です。
今思えば「なんでそこまで」という気がしますが当時はそれほどに危機意識があり、上方志向が強かったのです
「追いつけ追いつけ…そして追い越せ」ですね
でも、そのおかげで日本は比較的早く不平等条約から抜けられ、
末端ではあるが世界の国から認められたのです。
もちろん現実は内患外憂の状態でしたがとにもかくにも
一等国の仲間入りは出来たのです(末席のさらにスミでしたが)
当時中国はまだ辮髪をつけ中国独特の服を着、政治システムも旧来古来のままで、
中華思想に凝り固まって
(中国は竜の頭で中国から離れるほど尻尾になり劣った国であると言う意識)
頑なに新しいものを取り入れることをしなかったため
結果的に広大な土地に貧弱な政治しか育たず、それが結果的に今にいたっています。
また土地が広大すぎたため地方に住んでる人たちには「自分は中国人である」と言う意識が薄く、
また中央の官吏、軍人にも遠く離れた地方の人のことを、同じ国の人と言う意識が無かったため、
戦争中、中国軍(毛沢東軍)が同じ中国人の村を略奪すると言う現象が起こった。
因みに日本にも似たことがあります
日本の敗北が決定的になり
アメリカ軍が上陸してくるかもと言う時、宇都宮(?)の陸軍参謀にある下級将校が質問した。
「米軍が関東地方に上陸してきた時、街道は避難民でいっぱいになります。
どうすれば良いですか」
と言う質問
参謀は一瞬の考えの後
「ひき殺していけ」
と答えたそうです。
軍人と言う部分では正直どっちもどっちですね
中国の悪いところは、新しい考え、思想(イデオロギーと言って良いのかな)が出来ると
その前の文化、思想をすべて否定してしまうんですね。
ラストエンペラーと言う映画の最後の方でわかりやすく描かれてます。
そのため新しい思考が出来るとすべて一から作らなければならず、
熟成した観念形態が育たないんですね。
その度にその時代に都合のいいルールが出来てしまいます。
当然密室で作られるためそこにいる人にとって都合の良いルールです
たとえその前の社会で有能だった人でも、ひどいときには処刑、よくて島流しです。
ここが日本と中国の最大の違いです。
明治維新後、新政府は元幕府の官吏であっても有能と思われた人は採用しましたね
もちろん人数は少ないですが処刑まではされませんでした。
有名所では榎本武明、大鳥圭介でしょうか
結局中国は未成熟なイデオロギーの中で政府がきちんとした教育を受けさせないシステムで
扱いやすい国民を作ろうとしてたがインターネットや隙間風のように入ってくる情報まで管理できず、
また中途半端に情報に浸された国民は政府のプロパガンダに踊らされ
自分の脳を使って物事を考えず、善悪さえつかない人間に仕上げられています。
因みにこの書き込みにあたっては司馬量太郎の「この国のかたち」
NHK「そのとき歴史は動いた」を参考にしてます
但しほとんどは自分の考えに基づくものです
「ここ違うぞ」と言うところがあればご指摘願います
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/49498.html