中国の欺瞞、虚偽などに目を開け
投稿者: moccusboccus 投稿日時: 2004/12/08 22:32 投稿番号: [40459 / 196466]
>中国は、その後正々堂々、ソ連と戦ってきたんだよ。
なにが「正々堂々、ソ連と戦ってきた」だ。
真相は、1969年3月にウスリー河の中洲「珍宝島(ダマンスキー島)」で、ソ連軍に痛めつけられ、さらにブレジネフに「北京に原爆を落とすぞ」と脅されてビビりまくった毛沢東が、恥も外聞もなく本来敵であるはずのアメリカに泣きつき、それをキッシンジャーが外交戦略上受け入れて、1972年2月の「米中共同声明」(ソ連を仮想敵国とした事実上の「米中戦略的同盟」宣言)になったのだろうが。
ついでに、面白い話を一つ教えてやろう。
ちょうど毛沢東とニクソンが北京で衝撃的な「米中共同声明」を発表した時、日本では「連合赤軍」が「浅間山荘」に立て籠もり、警官隊と銃撃戦の真っ最中だった。その中に元「京浜安保共闘(毛沢東派)」出身で当時「連合赤軍」大幹部となっていた坂口弘(現在「死刑囚」として獄中)がいた。坂口は「浅間山荘」に篭城した「連合赤軍」メンバーの中では、文字通り最高幹部だった。その坂口がテレビで「米中共同声明」のニュースを見て、大きな衝撃を受け、次のような短歌を読んでいるのである。
●毛沢東とニクソンが握手せり
時代に遅れ我は銃を撃つ
高校時代から「朝日新聞」の「文化大革命」礼賛記事などを読んで「毛沢東主義者」となり、それ以降毛沢東の提唱する「反帝国主義闘争」とやらを一生懸命戦っていた坂口弘の深刻な絶望感(毛沢東に裏切られたという感覚と、今更ながら毛沢東などを信じていた自分が馬鹿だったという自己嫌悪感)が理解できるか?
坂口は、その時今まで信じていたものが音を立てて崩れ落ちる瞬間を体験していたのだ。
後日譚になるが、その数年後「日本赤軍(アラブ赤軍)」が「日航機」をハイジャックし、坂口ら獄中メンバーの釈放を要求した時にも、様々な過激派組織のメンバーがそれに応じて出獄し、「日本赤軍」に合流したのに対し、坂口だけはそれを断り、「死刑」覚悟で獄中に残った。これは坂口にとって、1972年2月21日の毛沢東とニクソンが笑顔で握手するテレビニュースの映像が、いかに大きな意味を持つものであったかの証左でもあろう。
これは メッセージ 40454 (jptmd2004 さん)への返信です.
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