>居住民は、たくさん残っていた
投稿者: yoku_wakaranzo_ooi 投稿日時: 2004/09/12 14:56 投稿番号: [36266 / 196466]
婦女子をはじめとする民間人のほぼ全員が「安全区」に集められていた。
そして、南京安全区国際委員会(米国人7、英5、独2、デンマーク1の計15名)のジョン・ラーベ委員長は日本軍司令官に対して
「私どもは、貴下の砲兵隊が安全区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき貴下(松井軍司令官)と連絡を取り得るようになりましたことに対して、感謝の意を表するものであります」
との書簡を送っている。(1937年12月14日)
その後、安全区の治安を守ったのは、日本の警備司令部であった。
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国際委員会が告発した日本軍の「非行」件数は次の通り(1937年12月13日〜38年2月9日)
殺人49件、傷害44件、強姦361件、連行390件、略奪その他170件
これらは、単なる伝聞やうわさ話を含む数字である。
「大虐殺」はどこへ行ったのか。
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ドイツは当時、米英と共に蒋介石を援助する軍事顧問団を置き、第二次上海戦の陣地構築を指導していた。
ラーベの所属するジーメンス社は、兵器や通信機の有名な製作会社である。ラーベは蒋介石に兵器を売り込むため、南京出張所を勤めていた。
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したがって、この委員会を構成する15人はいずれも、日本の「敵性国民」であった。
しかもこの15人の委員は、安全区以外の戦場を自由に通行・監視出来る許可証を日本軍から交付されていた。
この委員会の配下には紅卍字会やYMCA、支那側第5列の抗日宣伝部などが活動していた。
それでも、「大虐殺」の記録はない。
また、外国報道陣が市内にいたにもかかわらず、「大虐殺」は(海外でも)報道されていない。
これは メッセージ 36265 (chottolll さん)への返信です.
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