南京は、古代より日本との交流が深かった
投稿者: chottolll 投稿日時: 2004/09/12 10:42 投稿番号: [36224 / 196466]
今後交流を深めるのが良いだろう。
▼讃王のころからは平均7年おきぐらいに南朝の首都建業(南京)を往来。410年代以後は政治的な優位に物をいわせて百済からも南朝からもさかんに技術者を呼びよせ、朝廷の手工業組織のなかに組み入れました。倭漢直、西文首、秦造らは、その管理者として大きな働きをします。機織の技術の発達、そして窯業の技術革新〜須恵器、日常用は土師器を使用。
http://ariosu-web.hp.infoseek.co.jp/t/naniwa.htm『日本書紀』は、南朝の宋のことを呉国と呼んでいる。その地に、以前、呉が栄えたからであろう。一方、漢籍によると、倭人は、「自らは呉の太伯の子孫である」と述べている。
南京(=建業=建康)を最初に建設したのは、春秋の呉である。つまり、倭人(日本人)の祖先が造ったのである。
これは メッセージ 36140 (akanbei_21c さん)への返信です.
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