>通州事件
投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2004/08/14 19:38 投稿番号: [35197 / 196466]
1937年7月29日、冀東防共自治政府の首都通州など華北各地の都市で保安隊が蜂起、蘆溝橋事件の余波で避難していた婦女子を含む日本人居留民、天津特務機関長細木繁中佐ら軍人など200余人(半数は移住してきた朝鮮人)が殺された。事件の原因は、日本軍機が華北の各所を爆撃した際に、通州の保安隊兵舎などにも誤って爆弾を投下したことの報復と言われる。殷汝耕主席も保安隊に連れて行かれた。日本国内では第2の尼港事件と言われ、大々的に取り上げられた。30日、日本軍が出動してこれを鎮圧、殷汝耕も解放された。殷は辞任し、その後日本に対し賠償が行われたが、むしろ、『日本はこの事件を心理的に利用した。』
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/tuushuu.html
江口圭一氏「十五年戦争研究史論」より
補論 通州事件について
中国の抗日は日本の侵略にたいする反撃であり、正当・当然であるからといって、通州保安隊その他による日本人・朝鮮人・女性・幼児にいたる無差別虐殺は容認できるものではない。しかし通州事件の評価・位置づけには少なくとも以下の三点への留意が必要である。
第一は、『事件が中国で、それも日本のさらなる中国侵略の拠点とされた通州で発生したという単純な事実である。』中国軍が日本へ侵攻し、たとえば九州で引きおこした日本人虐殺事件ではないのである。異なる次元・地平に属するものを相殺のためにもち出すことはできない。
第二は、中国側にとってもある意味で「魔の通州」と呼ぶべき事情が存在していたことである。通州は冀東政権の本拠地であり、華北併呑の舌端であるとともに、アヘン・麻薬の密造・密輸による「中国毒化」の大拠点であった。ヘロイン製造にあたった山内三郎は「冀東地区から、ヘロインを中心とする種々の麻薬が、奔流のように北支那五省に流れ出していった」と記し、中国の作家林語堂は「偽冀東政権は日本人や朝鮮人の密輸業者、麻薬業者、浪人などにとって天国であった」と書いた。信夫信三郎「通州事件」は「日本の中国『毒化政策』に恐怖し憤激した通州の市民が保安隊反乱の混乱に乗じて日本の居留民―および朝鮮人に―に報復した抗日事件」として通州事件をとらえた。
第三は、日本軍の守備責任の問題である。通州の日本軍主力は北平総攻撃にむかっており、反乱に対応できなかった。支那駐屯軍司令官であった香月清治中将は、杉山元陸軍大臣から通州事件について再三「遺憾」の意をあらわせと催促されたのにたいして、
通州に於て予期せざる保衛隊の叛乱に遭いて多数常人(一般人)は生命を殞すに至りたることは甚だ不幸の事に相違なきも之は寧ろ一種の避け難かりし天災と見るを適当とするが如し。軍は当然努むべきことを努め貴重なる将兵多数の生命を犠牲となせり。・・・此の局部の事象を以て軍司令官が謝罪的遺憾の意を表明するは軍爾後の作戦指導及志気に影響する所大なりと信ずるものなり。
と回答した。
軍司令官は「天災」といってのけたが、山中恒氏はこれを「初めから日本人居留民などを切り捨てていた」と断ずる。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/tuushuu.html
江口圭一氏「十五年戦争研究史論」より
補論 通州事件について
中国の抗日は日本の侵略にたいする反撃であり、正当・当然であるからといって、通州保安隊その他による日本人・朝鮮人・女性・幼児にいたる無差別虐殺は容認できるものではない。しかし通州事件の評価・位置づけには少なくとも以下の三点への留意が必要である。
第一は、『事件が中国で、それも日本のさらなる中国侵略の拠点とされた通州で発生したという単純な事実である。』中国軍が日本へ侵攻し、たとえば九州で引きおこした日本人虐殺事件ではないのである。異なる次元・地平に属するものを相殺のためにもち出すことはできない。
第二は、中国側にとってもある意味で「魔の通州」と呼ぶべき事情が存在していたことである。通州は冀東政権の本拠地であり、華北併呑の舌端であるとともに、アヘン・麻薬の密造・密輸による「中国毒化」の大拠点であった。ヘロイン製造にあたった山内三郎は「冀東地区から、ヘロインを中心とする種々の麻薬が、奔流のように北支那五省に流れ出していった」と記し、中国の作家林語堂は「偽冀東政権は日本人や朝鮮人の密輸業者、麻薬業者、浪人などにとって天国であった」と書いた。信夫信三郎「通州事件」は「日本の中国『毒化政策』に恐怖し憤激した通州の市民が保安隊反乱の混乱に乗じて日本の居留民―および朝鮮人に―に報復した抗日事件」として通州事件をとらえた。
第三は、日本軍の守備責任の問題である。通州の日本軍主力は北平総攻撃にむかっており、反乱に対応できなかった。支那駐屯軍司令官であった香月清治中将は、杉山元陸軍大臣から通州事件について再三「遺憾」の意をあらわせと催促されたのにたいして、
通州に於て予期せざる保衛隊の叛乱に遭いて多数常人(一般人)は生命を殞すに至りたることは甚だ不幸の事に相違なきも之は寧ろ一種の避け難かりし天災と見るを適当とするが如し。軍は当然努むべきことを努め貴重なる将兵多数の生命を犠牲となせり。・・・此の局部の事象を以て軍司令官が謝罪的遺憾の意を表明するは軍爾後の作戦指導及志気に影響する所大なりと信ずるものなり。
と回答した。
軍司令官は「天災」といってのけたが、山中恒氏はこれを「初めから日本人居留民などを切り捨てていた」と断ずる。
これは メッセージ 35192 (heisei_16_nen さん)への返信です.
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