日中関係

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akanbei_21c君は日本人ではない

投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2004/08/05 15:35 投稿番号: [33349 / 196466]
か、まったくの阿呆です。

>当時ナチスの科学者が満州に来ていて   勝手に人体実験をしたらしい。
日本軍や日本政府は関係ない話です。

日本人なら誰でも知っていることです。

まさか、石井はドイツ人だった!とわけわからん事まで言い出すイカレポンチかな?

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/731butai.htm

菊池斉(ひとし)を部長とする第1部の役割は細菌兵器としての猛毒の細菌を開発で、ペスト、赤痢、脾脱疽(ひだっそ)、コレラ、チフス、結核の各研究班は生体実験により細菌戦のデータを集め、ウイルス、リケッチア・ノミの各研究班は中国東北部の風土病(流行性出血熱など)を生体実験で研究、昆虫班はどの種のノミがペスト菌の伝播(でんぱ=次々に伝わって広まること。「でんぱん」は誤読)に適しているどうか、また繁殖方法や散布方法などを、凍傷研究班は冬季における細菌戦や凍傷治療の有効方法を生体実験、さらに病理研究班は生体解剖や死体解剖、組織標本作製を担当していた。

血清研究班は伝染病への対症療法やワクチンの開発、薬理研究班は速効性、遅効性の毒物、化学薬品を生体実験し、敵要人暗殺用の特殊兵器を開発していた。

また生体実験のため送り込まれた捕虜は、女性や子供を含む中国人、ロシア人を中心とするモンゴル人、朝鮮人、少数のアングロ・サクソン系白人で、マルタ(丸太)と呼ばれた。彼らは1,000種類以上の生体実験、あらゆる生体解剖に使用されたが、その数は、1939年から1945年だけで3,000人以上といわれている。

石井四郎は、敗戦が濃厚となった1945年8月13日、証拠隠滅のため施設の完全破壊を命令、施設はことごとく破壊され、残されていた捕虜は全員が毒殺などによって虐殺された。

戦後石井ら幹部は、GHQ(連合国最高司令部)と取引し、東京裁判での戦犯追及を免れることと引き換えに、細菌兵器の資料を米軍に渡し、部下には、「秘密は墓場まで持って行け」と厳命した。

1949(昭和24)年1月、「東京裁判」でソ連検事団のスミルノフは、GHQ の情報部(G2)のウイロビー部長に石井四郎らの人体実験を含めて訴追請求の覚書を送ったが、731部隊の技術情報がソ連に流れることを怖れたGHQは、逆にソ連の要求はシベリアに抑留している日本兵の問題をカモフラージュする宣伝だとして、これを拒否した。そのため、東京裁判では731部隊は裁かれなかった。

ドイツのアウシュビッツがニュールンベルグ(Nuremberg)裁判で裁かれたのに比して顕著な相違である。

拒否されたソ連は「東京裁判」閉廷後の1949年12月25日から6日間、極東のハバロフスクで細菌戦について731部隊細菌戦部隊部長・川島軍医少将、課長・柄沢軍医少佐、部長・西軍医中佐、支部長・尾上軍医少佐ら元日本軍人12名に対する軍事裁判を開いた(いわゆるハバロフスク裁判―公判記録は、モスクワの国立政治図書出版所から公刊されている〔日本語訳して788ページ〕。

そこでは残虐な人体実験や中国浙江(せつこう)省北東部の商業都市寧波(ねいは・ニンポー)、浙江省西部の都市衢州 (くしゅう・チュイチョウ)、湖南省北部、洞庭湖西方の商工業都市の常徳(じょうとく・チャントー・ジヤウトク)などに対して、飛行機からペスト菌を散布したことが明らかになっている。

そして、731部隊の幹部たちは高額の退職金を手にして、官公庁、国立大学(東大、京大、阪大、大阪市立大、防衛大学、金沢大などの医学部教授)、薬学研究所、病理学研究所、製薬会社(武田製薬)、自衛隊などに再就職をするのであった。
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