いかがわしい中共の「反日・愛国」教育
投稿者: jyoui 投稿日時: 2003/08/19 10:41 投稿番号: [27583 / 196466]
http://ww1.m78.com/topix-2/%82%94%82%88%82%85%20battle%20of%20shanghai.html
フランス人ジャーナリスト、ロベールギランはこの時のことを記す。
「中国軍第88師団の少年兵400人は、10月27日、フランス租界で孤立して戦っていた。幾人かは日本軍のパトロールが来るや、手榴弾を掴んで飛び込んでいった。イギリス人が仲介して降伏するように勧めたが、『われわれは中国が生きるために死ななければならない。』と返事があった。年配のドイツ人女性がパンを少年兵に届けようとしたが、イギリス兵に阻止された。少年兵は食料も弾薬も尽きたようだった。日本軍は中国兵のいる倉庫にサーチライトを浴びせ周囲を機関銃部隊で取り囲んだ。中国兵はその夜集団となって日本軍の警戒線を突破した。…マーケットのそばでフランス兵に取り囲まれ、少年兵が呆然と立っていた。少年兵はドイツ製の小銃と青天白日の国章を描いたドイツ風のヘルメットを、傍らにおき涙で頬をぬらし感情の高ぶりのせいか全身をふるわせていた。傷ついた動物のように異様な音をたてていた。」
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なぜ上海に、この勇敢な中国少年兵達の戦闘を記念する銅像が無いのか?
あの激烈な上海戦を戦ったのが中華民国国旗を持つ国民政府軍だから、その歴史を隠蔽してるのだろう。
上海戦当時、日本軍に撃墜され降下した中国空軍パイロットが、拳銃で最後まで抵抗し自決し、その勇気を称えた記念碑が日本軍により建てられたが、今もあるのか?
敵味方を超え、その武勇は人類の財産として称えられるべきモノであるが、偏狭な共産主義思想と国民政府への劣等感(日本軍とまともに戦えなかった八路軍の戦歴)がこれらを隠蔽してるのだろう。
終戦直後に北支に駐留していた航空隊は、進駐してきた八路軍に降伏したが、捕虜としては扱われず「航空兵を教育して欲しい」と要請を受け、練習機を使い八路軍の航空兵養成を行ったことが軍創立史に載ってるのか?
フランス人ジャーナリスト、ロベールギランはこの時のことを記す。
「中国軍第88師団の少年兵400人は、10月27日、フランス租界で孤立して戦っていた。幾人かは日本軍のパトロールが来るや、手榴弾を掴んで飛び込んでいった。イギリス人が仲介して降伏するように勧めたが、『われわれは中国が生きるために死ななければならない。』と返事があった。年配のドイツ人女性がパンを少年兵に届けようとしたが、イギリス兵に阻止された。少年兵は食料も弾薬も尽きたようだった。日本軍は中国兵のいる倉庫にサーチライトを浴びせ周囲を機関銃部隊で取り囲んだ。中国兵はその夜集団となって日本軍の警戒線を突破した。…マーケットのそばでフランス兵に取り囲まれ、少年兵が呆然と立っていた。少年兵はドイツ製の小銃と青天白日の国章を描いたドイツ風のヘルメットを、傍らにおき涙で頬をぬらし感情の高ぶりのせいか全身をふるわせていた。傷ついた動物のように異様な音をたてていた。」
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なぜ上海に、この勇敢な中国少年兵達の戦闘を記念する銅像が無いのか?
あの激烈な上海戦を戦ったのが中華民国国旗を持つ国民政府軍だから、その歴史を隠蔽してるのだろう。
上海戦当時、日本軍に撃墜され降下した中国空軍パイロットが、拳銃で最後まで抵抗し自決し、その勇気を称えた記念碑が日本軍により建てられたが、今もあるのか?
敵味方を超え、その武勇は人類の財産として称えられるべきモノであるが、偏狭な共産主義思想と国民政府への劣等感(日本軍とまともに戦えなかった八路軍の戦歴)がこれらを隠蔽してるのだろう。
終戦直後に北支に駐留していた航空隊は、進駐してきた八路軍に降伏したが、捕虜としては扱われず「航空兵を教育して欲しい」と要請を受け、練習機を使い八路軍の航空兵養成を行ったことが軍創立史に載ってるのか?
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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