YellowFluteさん、お久しぶりです。
投稿者: T_Ohtaguro 投稿日時: 2003/01/20 21:11 投稿番号: [27048 / 196466]
年始の挨拶は日が経ちすぎているので省略させていただきます。
メッセージ: 27037に、
『カイロ会談の内容』と『カイロ宣言とされる文書』が一致する必要は全くないのである。
と書きましたが、
色々と検索していると、このような物が出てきました。
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http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tsuka/honban/situmon/potudam.html>最近の研究によれば,ポツダム会談ではポツダム宣言(日本への降伏勧告)については協議されていないとのことです(つまり教科書の記述は間違っているわけです)。そこで,私の参考書ではそれに従って記述しました。
>百瀬孝「ポツダム宣言のことなど」(『本郷』1996.1)で,次のように書かれています。
>「ポツダム会談では対日降伏問題など話し合われておらず、ソ連の対日参戦が部分的に話し合われたのみである」。(p.20)
>「ポツダム宣言はアメリカ政府内部で内容文案を決め、会談期間中イギリスのチャーチル首相に提示し、イギリスの三点の修正をアメリカは受け入れ、会談に出ていない中国に電信で意見を求め、蒋介石から自分の名の記載順序をイギリスの前に変更してくれという唯一の希望を受け入れて、アメリカ、イギリス、中国三国宣言として七月二六日に公表された(蒋介石は自分は元首だからと元首でないチャーチルの後は困るとしたが、国名記載順序としてはイギリスの後でよいとした)。ソ連には公表後モロトフ外相に示したのみである(トルーマンが事前にスターリンに宣言を出すことは話している)。モロトフもスターリンも勿論怒ったが、後の祭りであった」。(p.20〜21)
>また『国史大辞典』(吉川弘文館)の項目「ポツダム宣言」でも,ポツダム会談で日本への降伏勧告が議題とされたとは書かれておらず,ポツダム会談とポツダム宣言との関連は明記されていないのが実情です。
これは メッセージ 27047 (YellowFlute さん)への返信です.
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