nita2さん
投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2002/06/20 14:23 投稿番号: [24907 / 196466]
日本では、「国際社会の一員として」と叫ばれては久しいですが、
実体は異なっていると思います。
例えば、音感学習による障害者教育も日本では学ぶことも出来なければ、
近年話題の、刑事政策・犯罪学用語のプロファイリングでさえ、
日本で基礎事項でさえ教えてているのは慶・中・九・常の数校だと伺っています。
つまり、選択しも少なければ、これでは、安直な言葉の一人歩きだけを招き、
実質的な成果は育ってこないと思います。
その結果、飛び抜け出てる者は、その閉鎖性に限界を感じ、
より自由な求学を追い求めるのだと思います。
そこで、一番問題なのは、日本がどの様な国家観を持っているかですが、
哲学に基づくフランス型の徹底したエリート教育制でもなく、
自由な発想を基としたアメリカ型教育制でも無いことですね。
これが、私が日本の政治家なら、中国はじめ、
アジア諸国から機知に富んだ優れた若者をどんどん受け入れ、
単なる島国日本・高齢者社会日本といった固定概念を崩そうと思いますが、
日本の政治家には地盤もありますし、そこまでの踏ん切りは付かないのでしょうね。
まぁ、それでもフェローではなく、本気で真理を探究する者が
骨を埋める覚悟で日本から出ていく分には、知識層には個の意識が根付き、
日本が明治・大正・昭和とは決別したということでしょう。
そこには、発展途上国からは脱皮した明確な進歩がありますよ。
しかし、欲を言えば、日本がその様な国にならなければいけないのでしょうが、
閉鎖的な国民意識はいかんともしがたいといったところに収束するんではないでしょうか。
外国人にとっては、常識を前提に日常を過ごしてる日本や韓国は窮屈ですよ。
まだ中国の方が、政府の制約は厳しくても、市民レベルでのプレッシャーは少ないと思います。
その結果、海外に放つと水を得た魚で、常に上位に食い込んでくるのだと思いますよ。
これは メッセージ 24902 (nita2 さん)への返信です.
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