日中関係

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国際法上最も強い領土権は先占にある

投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2012/09/24 01:37 投稿番号: [192230 / 196466]
尖閣諸島は古来から無人島であった。古来、人類は舟を発明し、海を渡ったが、漂流者以外、目的をもって外洋を遠洋航海するようになったのは、大航海時代になってからのことである。尖閣の魚釣島付近の航海に関しては、明朝の時代になってからだな。それも琉球王朝の水先案内人にガイドされている。琉球から使節を明に派遣した舟は、舟という小舟よりも大型帆船でなければ出来ないことだな。動力が無かった時代であるから当然だな。それより遥か前の隋や唐の時代、日本は当時としては大型の帆船に使節を乗せて中国へ送った。それも年に数えるくらいの回数でしかない。しかし、途中で嵐に会い、沈没したり、難破したり、とんでもない土地に命からがら着いたりしているケースが多い。建造費がばかにならない王朝船ですらそうであった。

では、貧しい漁民はどんな舟だったのかな?   明朝においては帆一枚の手漕ぎの小さなジャンク舟であった。清朝に至ってもこのジャンク舟であった。こんな舟では何日もかかる魚釣島まで中国漁民は漁にでていたのかな?   獲った魚は帰り道ですべて腐ってしまったのではなのか?   腐った魚で商売していたのかな?(笑)

また、中国は、魚釣島は最初に明の特使が琉球王朝へ向かう途中に発見したという。だから中国領だという。これは笑える。その明の特使は琉球王朝の水先案内人の案内で琉球王朝にたどり着いている。本人も記録にそう書いてある。

当時の琉球人は、すでに魚釣島をよく知っていたということだ。琉球人は記録にあるだけでも500回以上中国へ行っている。これに対し、中国官吏が琉球に来たのはわずか27回のみである。それも琉球人の水先案内人を伴ってな。魚釣島は琉球人にとっては未知の島ではなかったのである。中国への航海の道しるべの一つであった。

1895年に日本が沖縄県に編入する前、古文書や海図に魚釣島は記載されているが、国際法上は、単なる記録や地図だけでは、他に有力な証拠でもないかぎり領有権は発生しない。国際法上最も強力で決定的な根拠は、魚釣島に対する施政権を明示した公文が存在する場合であり、同時にこの公文書が示す施政権に他から異議の申し立てがない場合に国際法は施政権を行使した国の領土と認める。これが複数国の漁場であった場合でも、先に施政権を主張し、この施政権に異議を申し立てる国がなかった場合のも適用される。

中国は、日清戦争の結果としての下関条約に魚釣島も含むと主張しているが、下関条約には魚釣島は言及されていない。したがって魚釣島は、日本が敗戦により放棄すべき島には含まれていない。中国はまた、カイロ宣言やポツダム宣言を持ち出しているが、現中国の中華人民共和国はこれら宣言の当事者ではないから、どうのこうの言う権原はまったくない。また、現台湾の中華民国がこれら宣言の有効性を主張しても、その後に締結されたサンフランシスコ条約により無効となっている。

ま、魚釣島周辺海域は、清朝末期から台湾漁民の漁場でもあったことは事実であるから、この点は日本政府に強力に主張する道理はあろうな。しかし、それでも国際法は法である。法の決断に従ってもらいたいと考える。法を無視するならば、それこそ無法状態となり、秩序は混乱する。法に不具合があるというのであれば、これを改正する努力をすることだ(苦笑)。
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