日中関係

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

招魂社の創建者は明治天皇にあらず

投稿者: georgia_00 投稿日時: 2001/08/01 07:07 投稿番号: [19196 / 196466]
以下は司馬遼太郎「この国のかたち」第4巻   86ページより抜粋
-------------------------- -
(招魂社の)発議者は、長州の大村益次郎であった。ついでながら、かれはこの発案をふくむ国民国家(藩の否定)思想に反対する檄徒のために、この年のうちに暗殺される。
  大村は、本来、長州の農民身分の医者だった。同藩の代表者木戸孝允に見出されてにわかに藩の要職につき、さらには戊辰戦争の全作戦を統括す身分になった。
  無口な上に無愛想で、たとえば上野の口の攻囲戦のとき、最激戦地を予想される広小路口の攻撃を薩軍にわりあてた。軍議の席上、西郷があきれて、「薩軍をみな殺しになさる気か」と問うと、「そうです」と答えたという。
  ついでながら、この席に薩摩藩の海江田信義がいて、西郷を軽視する大村を深く憎み、のち大村暗殺の黒幕になったのかのようである。
  大村は、農民の出でもあって、諸藩の士がもつ藩意識には鈍感で、むしろ新国家の敵を心得ていた。
  武士をさえ、尊敬しなかった。
たまたま幕末、長州藩に奇兵隊など”諸隊”とよばれる庶民軍が特設された。kの部隊が、幕末の藩内のクーデターさわぎのときも正規武士団を圧倒したし、幕長戦争のときも、幕軍をいたるところで敗走させた。
  かれが、諸藩を真っ向から否定して、四民による志願制の国軍を建設しようという”危険思想”を抱いたのは、自然なことだった。
  そのあらわれが。九段坂上の招魂社だったといえる。

  設けるについては、木戸と相談し、場所を九段坂上にきめた。旗本屋敷数軒をこぼったりして三万五千坪を得、まず仮殿をつくり、勧進相撲や花火大会を催したりした。死者たちをよろこばせるつもりだった。大村も木戸も、人ごみのなかにまじって見物した。
  その創設は、明治二年六月のことである(三ヶ月後に、大村は遭難する)。
死者を慰めるのに、神仏需いずれにもよらず、超宗教の形式をとったのは、前代未聞といっていい。大村は公の祭司はそうあるべきだとおもっていたにちがいない(この招魂社が、十年後の明治十二年別格官幣社靖国神社になり、神道によって祭司されることになる)。
----------------------------------

※当時17歳の世間知らず真っ盛りの明治天皇にその知恵あらず。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)