ああだこうだで中国から帰れた話
投稿者: sinacikuman7878 投稿日時: 2012/07/07 01:52 投稿番号: [190458 / 196466]
昭和25年国会での参考人質問抜粋
○高戸参考人 私も今おつしやつたような意向を多分に持つております。大体私は交通部の本部におりましたが、約三年ばかりおりました間、鉄道部、郵電部の最上級の幹部の人とは、友だちみたいにしてばかばかり言つていたのでありますが、そういう連中と話しても、返してもいいんだということは言つております。さつきもちよつと申し上げましたように、道がない、ルートがないのじやないかということをよく言います。ところが私のとつたルートが現在開けておるわけなんです。交通部は自分の船を持つております。それは全部パナマ籍に変更してパナマの国旗を掲げて日本に物資をどんどん持つて来ております。その見返り物資として今おつしやいましたいろいろな化学薬品とか機械類とかいうものを運んでおります。それからなお現に私の向うにおりますときに、鉄道部、それから自分のところに連絡をとつて物品を売り込むように運動したこともあります。その紹介もありますし、現に動いておりますので、この前も援護会に何とかこの方面で動かないかとお願いしました。それから中国の一般の気風はどうかと言いますと、上の力は大体返してもいい。ただ現地のその日本人を使つている各機関の責任者が、日本人が帰つたら能率が落ちる、そうなるとさつそく困るので、つい昨年ごろまでは、その責任を問われるおそれを感じて返さなかつたということが濃厚なんです。ところが今年に入りましてから、ソ連の圧迫がひどくなりまして、ぜひ日本人は帰せという内々の命令が出ているようです。うわさによりますと、五、六千人の技術者がソ連から入つて来る。もちろん現在も最高の技術者は各部に三人ないし五人の專門家が入つております。この人たちの給額は、普通部長といいますと日本の大臣と同じですが、その人たちの四倍ないし五倍の給額をもらつております。なお通訳だとかなんとかいいますと、かなりの費用がかかります。それからその以外の人たちは、ちようど中ソ友交條約の当時でありますが、約二千人くらい入つておりました。どういう人たちが入つていたかといいますと、われわれの目にも技術者というよりは軍人上りだとわかる人が入つておりました。中ソ友交條約が終りになりました後は、その人たちは一応帰りました。姿が消えたわけでありますが、またこのごろになつてぼつぼつ姿が見えるようです。そういう人たちが来る早々、すぐ日本人を返せ、最初友交條約が結ばれるまでのうわさは、日本人はわれわれに協力してくれるんだ、ここは中国の土地だ、ソ連の土地ではないのだから返さないというような意向を持つていたようです。ところがだんだん條約も結ばれたし、技術的援助をやるのだという名目で、日本人を返せという声が強いので、上層部の口は次第に返そうという意向になつております。ただ現在下層部の連中が前の行きがかり上返せるかどうかわからない、返すにしても一体どういう方法で日本人を返すのだということも大体知らないのです。それで先生らは返せというとまごつくわけです。それで行きがかり上言を左右にして。。。。。。
○高戸参考人 私も今おつしやつたような意向を多分に持つております。大体私は交通部の本部におりましたが、約三年ばかりおりました間、鉄道部、郵電部の最上級の幹部の人とは、友だちみたいにしてばかばかり言つていたのでありますが、そういう連中と話しても、返してもいいんだということは言つております。さつきもちよつと申し上げましたように、道がない、ルートがないのじやないかということをよく言います。ところが私のとつたルートが現在開けておるわけなんです。交通部は自分の船を持つております。それは全部パナマ籍に変更してパナマの国旗を掲げて日本に物資をどんどん持つて来ております。その見返り物資として今おつしやいましたいろいろな化学薬品とか機械類とかいうものを運んでおります。それからなお現に私の向うにおりますときに、鉄道部、それから自分のところに連絡をとつて物品を売り込むように運動したこともあります。その紹介もありますし、現に動いておりますので、この前も援護会に何とかこの方面で動かないかとお願いしました。それから中国の一般の気風はどうかと言いますと、上の力は大体返してもいい。ただ現地のその日本人を使つている各機関の責任者が、日本人が帰つたら能率が落ちる、そうなるとさつそく困るので、つい昨年ごろまでは、その責任を問われるおそれを感じて返さなかつたということが濃厚なんです。ところが今年に入りましてから、ソ連の圧迫がひどくなりまして、ぜひ日本人は帰せという内々の命令が出ているようです。うわさによりますと、五、六千人の技術者がソ連から入つて来る。もちろん現在も最高の技術者は各部に三人ないし五人の專門家が入つております。この人たちの給額は、普通部長といいますと日本の大臣と同じですが、その人たちの四倍ないし五倍の給額をもらつております。なお通訳だとかなんとかいいますと、かなりの費用がかかります。それからその以外の人たちは、ちようど中ソ友交條約の当時でありますが、約二千人くらい入つておりました。どういう人たちが入つていたかといいますと、われわれの目にも技術者というよりは軍人上りだとわかる人が入つておりました。中ソ友交條約が終りになりました後は、その人たちは一応帰りました。姿が消えたわけでありますが、またこのごろになつてぼつぼつ姿が見えるようです。そういう人たちが来る早々、すぐ日本人を返せ、最初友交條約が結ばれるまでのうわさは、日本人はわれわれに協力してくれるんだ、ここは中国の土地だ、ソ連の土地ではないのだから返さないというような意向を持つていたようです。ところがだんだん條約も結ばれたし、技術的援助をやるのだという名目で、日本人を返せという声が強いので、上層部の口は次第に返そうという意向になつております。ただ現在下層部の連中が前の行きがかり上返せるかどうかわからない、返すにしても一体どういう方法で日本人を返すのだということも大体知らないのです。それで先生らは返せというとまごつくわけです。それで行きがかり上言を左右にして。。。。。。
これは メッセージ 190456 (run*run*2 さん)への返信です.
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