少数民族の恨み・不満を解消できるか
投稿者: USA_NO13 投稿日時: 2001/07/28 13:34 投稿番号: [19024 / 196466]
激化する少数民族の独立運動
現象から中国を論ずることは、他の専門家に任せることにして、本稿で筆者は中国の「闇」に絞って論及してみたい。表題に掲げたマフィア、軍閥、少数民族は、いずれも幇(ぱん)と呼ばれる中国のパワー形成の中核要素である。
最高人民検察院は、九六年の刑事事件を前年比二七・三%増、八十二万五千人が起訴されたと報告している。なかでも殺人、爆破の凶悪犯が二十四万七千人、ここには「少数民族の反乱、政府転覆、国家分裂」などの「犯人」も含まれている。 中国では、チベット、内蒙古、そしてウイグルが少数民族問題の焦点である。
新疆ウイグル自治区が新中国の属国化したのは一九五五年のことで、四九年までに東トルキスタンという独立国だった。漢民族の大量流入によって、その後、人口千五百万人のうち四〇%が漢族となる。両民族のせめぎあいの戦争史の始まりである。長征時代の紅軍が、このイスラム圏で殲滅に近い大打撃を受け、以来この怨念を継いだ共産党はウイグル族への復讐を誓うようになったという説まである。
ウイグル族回教徒への苛酷な弾圧、拷問、処刑は十八世紀に侵略した清朝以来のもので、毛沢東の革命以後も、「帝国主義的版図」へのこだわりは変わっていない。ウイグル族の漢民族に対するすさまじい怨念は、その歴史的長さに比例している。 大半がイスラム教徒である新疆ウイグルの民は、教義上から社会主義を容易に受け付けない。
とくに新疆ウイグル独立運動は日毎に暴力的になってきている。今年一月にも暴動は起きている。ウイグル族の強制捜査を開始した中国当局が、ウルムチ市で言動不審者を片っ端から逮捕し、拷問にかけた。「モスク(イスラム寺院)で祈祷中のウイグル女性が二人、射殺された」という噂に、大々的な抗議デモが組織され、暴動へとエスカレートした。当局の鎮圧部隊が血の弾圧をおこなったため、ウイグル族が銃、ナイフ、投石、こん棒などで応戦、ついに市街戦となった。
ウイグル当局は「テロ集団による計画的破壊行為」とし、死者は九人だけとした(新疆日報)が、四百人の遺体が一帯に散乱する大惨事だった。報復を恐れる漢族はパニックに陥り、脱出希望者が空港や駅に殺到。ダフ屋の切符は正規の価格の十倍にも跳ね上がった。当局は伊寧空港を閉鎖して緊急事態に臨んだ。
三十六万人のウイグル人が死亡?
西側のなかには、犠牲者の数はこんな程度ではない、とする報道がある。イギリスの『フォーリン・リポート』誌は、ウイグル暴動は「一万五千人のウイグル人がカラシニコフ銃や石器で武装して蜂起、二百人が殺され、数千人のウイグル人の若者が労改に送られた。一九四九年の占領以来七二年までに五百四十八件の暴動が記録され、すでに三十六万人が殺された」(同誌九七年二月二十八日)とした。
ウルムチ暴動では、デモに参加しただけで逮捕された。この日のウルムチ市は零下三十一度だった。催涙弾を打ち込み、逮捕した住民を倉庫や体育館に集めて冷水を浴びせたため、多数のウイグル人が凍死した。
新疆ウイグル自治区を統括する共産党書記は王楽泉である。取締り強化政策を行った。
数台のバスが爆破された事件は、時限爆弾を使用して、ウイグル族居住区内で起こっていることから、中国当局の謀略説がとりざたされた。
三月七日には、開催中の全人代に狙いを定め、天安門に近い北京市西単でバスの爆破事件があった。西単は七九年の「民主の壁」としても有名な繁華街。同地区のショッピングセンターの前で牡丹園行きの路線バスが突然火を噴き、三名が死亡したとされる。当局は直ちにこのテロルを新疆ウイグルの独立派の犯行と断定した。
弾圧強化へ「国防法」を採択
中共中央の反応は愚かなほどストレートだった。もっとも警備が厳しいはずの全人代開催期間中に爆破テロを起こされてはメンツにかかわるといわんばかりに、各軍区から増援部隊を急派した。そのうえで、中央軍事委員会は蘭州軍区と北京軍区に厳戒体制を敷くよう命じた。
三月十四日にはそそくさと「国防法」を採択している。国防法には対台湾侵攻への武力行使を合法としたほか、チベット、ウイグルなどが独立運動をおこなった際の武力行使の正当性をわざわざ謳った。
明るみに出ている反政府地下組織の代表格として「東トルキスタン民族革命統合戦線」がある。代表を務めるムフリシという人物によれば、現在ウイグルには二十七の地下軍事グループが存在し、バラバラだった各派に近年統合の動きが出てきた。カザフなど四カ国は、ウイグル族と同じトルコ民族で、しかもイスラム教徒である。差別され、弾圧され続けた中国人への怨念を燃やし、いつか必ず独立達成をと意気込む。
現象から中国を論ずることは、他の専門家に任せることにして、本稿で筆者は中国の「闇」に絞って論及してみたい。表題に掲げたマフィア、軍閥、少数民族は、いずれも幇(ぱん)と呼ばれる中国のパワー形成の中核要素である。
最高人民検察院は、九六年の刑事事件を前年比二七・三%増、八十二万五千人が起訴されたと報告している。なかでも殺人、爆破の凶悪犯が二十四万七千人、ここには「少数民族の反乱、政府転覆、国家分裂」などの「犯人」も含まれている。 中国では、チベット、内蒙古、そしてウイグルが少数民族問題の焦点である。
新疆ウイグル自治区が新中国の属国化したのは一九五五年のことで、四九年までに東トルキスタンという独立国だった。漢民族の大量流入によって、その後、人口千五百万人のうち四〇%が漢族となる。両民族のせめぎあいの戦争史の始まりである。長征時代の紅軍が、このイスラム圏で殲滅に近い大打撃を受け、以来この怨念を継いだ共産党はウイグル族への復讐を誓うようになったという説まである。
ウイグル族回教徒への苛酷な弾圧、拷問、処刑は十八世紀に侵略した清朝以来のもので、毛沢東の革命以後も、「帝国主義的版図」へのこだわりは変わっていない。ウイグル族の漢民族に対するすさまじい怨念は、その歴史的長さに比例している。 大半がイスラム教徒である新疆ウイグルの民は、教義上から社会主義を容易に受け付けない。
とくに新疆ウイグル独立運動は日毎に暴力的になってきている。今年一月にも暴動は起きている。ウイグル族の強制捜査を開始した中国当局が、ウルムチ市で言動不審者を片っ端から逮捕し、拷問にかけた。「モスク(イスラム寺院)で祈祷中のウイグル女性が二人、射殺された」という噂に、大々的な抗議デモが組織され、暴動へとエスカレートした。当局の鎮圧部隊が血の弾圧をおこなったため、ウイグル族が銃、ナイフ、投石、こん棒などで応戦、ついに市街戦となった。
ウイグル当局は「テロ集団による計画的破壊行為」とし、死者は九人だけとした(新疆日報)が、四百人の遺体が一帯に散乱する大惨事だった。報復を恐れる漢族はパニックに陥り、脱出希望者が空港や駅に殺到。ダフ屋の切符は正規の価格の十倍にも跳ね上がった。当局は伊寧空港を閉鎖して緊急事態に臨んだ。
三十六万人のウイグル人が死亡?
西側のなかには、犠牲者の数はこんな程度ではない、とする報道がある。イギリスの『フォーリン・リポート』誌は、ウイグル暴動は「一万五千人のウイグル人がカラシニコフ銃や石器で武装して蜂起、二百人が殺され、数千人のウイグル人の若者が労改に送られた。一九四九年の占領以来七二年までに五百四十八件の暴動が記録され、すでに三十六万人が殺された」(同誌九七年二月二十八日)とした。
ウルムチ暴動では、デモに参加しただけで逮捕された。この日のウルムチ市は零下三十一度だった。催涙弾を打ち込み、逮捕した住民を倉庫や体育館に集めて冷水を浴びせたため、多数のウイグル人が凍死した。
新疆ウイグル自治区を統括する共産党書記は王楽泉である。取締り強化政策を行った。
数台のバスが爆破された事件は、時限爆弾を使用して、ウイグル族居住区内で起こっていることから、中国当局の謀略説がとりざたされた。
三月七日には、開催中の全人代に狙いを定め、天安門に近い北京市西単でバスの爆破事件があった。西単は七九年の「民主の壁」としても有名な繁華街。同地区のショッピングセンターの前で牡丹園行きの路線バスが突然火を噴き、三名が死亡したとされる。当局は直ちにこのテロルを新疆ウイグルの独立派の犯行と断定した。
弾圧強化へ「国防法」を採択
中共中央の反応は愚かなほどストレートだった。もっとも警備が厳しいはずの全人代開催期間中に爆破テロを起こされてはメンツにかかわるといわんばかりに、各軍区から増援部隊を急派した。そのうえで、中央軍事委員会は蘭州軍区と北京軍区に厳戒体制を敷くよう命じた。
三月十四日にはそそくさと「国防法」を採択している。国防法には対台湾侵攻への武力行使を合法としたほか、チベット、ウイグルなどが独立運動をおこなった際の武力行使の正当性をわざわざ謳った。
明るみに出ている反政府地下組織の代表格として「東トルキスタン民族革命統合戦線」がある。代表を務めるムフリシという人物によれば、現在ウイグルには二十七の地下軍事グループが存在し、バラバラだった各派に近年統合の動きが出てきた。カザフなど四カ国は、ウイグル族と同じトルコ民族で、しかもイスラム教徒である。差別され、弾圧され続けた中国人への怨念を燃やし、いつか必ず独立達成をと意気込む。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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