Re: 日本人のルーツは中国にあると考える
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2012/05/18 12:00 投稿番号: [189200 / 196466]
昨日は久々に平日に休んでいたので・・・遅レスとなってしまったようだね。
>それも小船で荒海を渡る極めて少数の縄文人が、圧倒的多数の中国古代人を制圧感化したということは有り得ない。
だれも、古代中国人を制圧したとは言っていない(笑)。少なくても長江文明の基礎は築きあげたと思っているけどね。
人口が多いからといって,人口密度が高いとは限らない。いったいあの広大な中国沿岸部にどれだけの人口があったと思っているの?まさか・・・今の15億の人口から想像してやしないだろうね(笑)
何千キロにも渡る中国沿岸部の過疎地域に、縄文人が進出できないと考えているのなら、合理的思考が欠如しているとしか思えないね。
仮に、縄文人が長江流域に進出していなかったのなら、そこで出土する数々の縄文土器など日本由来の品々はどのような説明をするつもりなのか。
文化は間違いなく人口密度の多い方が発展する。
当時の遺跡や出土品の数と密度を比較すれば、日本の数が多い。石器なども日本では世界に先駆けて磨製石器が使われていたが、中国製は、数も少なく日本の物と比較しても粗雑だ。
後一つ、付け加えれば、当時の中国はそのほとんどが非定住社会だったということ。(下記の朝鮮を、長江文明の始まった頃の中国大陸と入れ替えてもさほど大きな違いはない)
ーーーーーーーーーーー
【縄文時代の日本と朝鮮の比較】
http://hensuiryuu-taijyutu.seesaa.net/article/216592823.html?1337304418
当時の朝鮮半島のような非定住社会と縄文人の定住社会の違いはなにかと言えば、それは以下のような差である。
考古学者渡辺仁氏によれば「非定住な暮らしをしているとどうなるか。人が死んでもあちらこちらに埋めて次に移動してしまう。建物に、大きな建材を使わない。仮設的なものか、あるいは運んでいけるような軽量建材を使う。モンゴルのパオとかゲルのようなもの。あるいは、移動するたびに木を入手して作る。ゴミはあっちこっちに捨てていってしまう。
反対に定住するとどうなるか。立派な建物を建てることが可能になる。石皿とか石棒とか土器を使うようになる。ゴミ場(貝塚のような)が必要になり、墓が必要になる」
縄文時代の日本は木造建築の技術も相当進んでおり、長浜浩明氏の著書によれば「木造建築の先進性の証拠として、1万2千年前から弥生時代まで続いた富士山の桜町遺跡から、精巧な木組みを用いた4千年前の高床式建物が出土した。この事実から、高床式建物は稲作と共に渡来人がもたらした、なる説も誤りであることが確定した。そして約35センチを単位とする尺度があったとも考えられ、奈良の法隆寺や東大寺の技術基礎はこの時代から育まれていたのである」という。
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つまり・・・大陸から切り離されてから数千年もの間、大陸からの人的流入がほとんどなく、人種的統合がなされ(倭人にしかないDNA・D2が証明しているように)文化的にも倭人としてのアイデンティテーを確立した縄文時代中期の終わりまでの日本は、東アジアで最も先進的地域だったと言うこと。
>それも小船で荒海を渡る極めて少数の縄文人が、圧倒的多数の中国古代人を制圧感化したということは有り得ない。
だれも、古代中国人を制圧したとは言っていない(笑)。少なくても長江文明の基礎は築きあげたと思っているけどね。
人口が多いからといって,人口密度が高いとは限らない。いったいあの広大な中国沿岸部にどれだけの人口があったと思っているの?まさか・・・今の15億の人口から想像してやしないだろうね(笑)
何千キロにも渡る中国沿岸部の過疎地域に、縄文人が進出できないと考えているのなら、合理的思考が欠如しているとしか思えないね。
仮に、縄文人が長江流域に進出していなかったのなら、そこで出土する数々の縄文土器など日本由来の品々はどのような説明をするつもりなのか。
文化は間違いなく人口密度の多い方が発展する。
当時の遺跡や出土品の数と密度を比較すれば、日本の数が多い。石器なども日本では世界に先駆けて磨製石器が使われていたが、中国製は、数も少なく日本の物と比較しても粗雑だ。
後一つ、付け加えれば、当時の中国はそのほとんどが非定住社会だったということ。(下記の朝鮮を、長江文明の始まった頃の中国大陸と入れ替えてもさほど大きな違いはない)
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【縄文時代の日本と朝鮮の比較】
http://hensuiryuu-taijyutu.seesaa.net/article/216592823.html?1337304418
当時の朝鮮半島のような非定住社会と縄文人の定住社会の違いはなにかと言えば、それは以下のような差である。
考古学者渡辺仁氏によれば「非定住な暮らしをしているとどうなるか。人が死んでもあちらこちらに埋めて次に移動してしまう。建物に、大きな建材を使わない。仮設的なものか、あるいは運んでいけるような軽量建材を使う。モンゴルのパオとかゲルのようなもの。あるいは、移動するたびに木を入手して作る。ゴミはあっちこっちに捨てていってしまう。
反対に定住するとどうなるか。立派な建物を建てることが可能になる。石皿とか石棒とか土器を使うようになる。ゴミ場(貝塚のような)が必要になり、墓が必要になる」
縄文時代の日本は木造建築の技術も相当進んでおり、長浜浩明氏の著書によれば「木造建築の先進性の証拠として、1万2千年前から弥生時代まで続いた富士山の桜町遺跡から、精巧な木組みを用いた4千年前の高床式建物が出土した。この事実から、高床式建物は稲作と共に渡来人がもたらした、なる説も誤りであることが確定した。そして約35センチを単位とする尺度があったとも考えられ、奈良の法隆寺や東大寺の技術基礎はこの時代から育まれていたのである」という。
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つまり・・・大陸から切り離されてから数千年もの間、大陸からの人的流入がほとんどなく、人種的統合がなされ(倭人にしかないDNA・D2が証明しているように)文化的にも倭人としてのアイデンティテーを確立した縄文時代中期の終わりまでの日本は、東アジアで最も先進的地域だったと言うこと。
これは メッセージ 189172 (mr_*hin** さん)への返信です.
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