支那人大殺戮は支那人自身のしわざ
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/08/17 17:39 投稿番号: [187785 / 196466]
支那人は自分たちのやった大殺戮を、日本人になすりつけた。
南北朝鮮人もそうだが、支那人も国に完全に騙されている。
★支那事変では一般民衆にも多くの犠牲者が出たが、それは
日本軍の殺害によるものではなく、支那軍の殺害によるものだった。
例えば1938年6月、
支那軍は黄河や揚子江の堤防を決壊させ支那民衆を大量に殺害した。
この時の死者数については、死者は河南省だけの少ない見積もりでも
32万人、記録によれば89万人とも100万人とも言われている。
●関連記事
黄河決壊事件
蒋介石が日本軍の進軍を阻止するため1938年6月11日夜黄河の堤防を破壊
死者数は89万人〜100万人(河南省だけの犯人の報告で32万人)
支那事変で住民を大量殺戮した支那軍と、懸命に救助した日本軍の代表的事件
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4274.html
★『抗日戦回想録』郭沫若自伝より
敵の最初の計画は、伝えられるところでは、大きく迂回した包囲戦略をとり、
隴海線に沿って西進し、さらに平漢線南半を奪って大武漢の背をつこうと
いうものだったという。しかしこの戦略は、6月11日の黄河堤防の決壊で、
河南省東部が沼沢地帯になったため、水の泡と化した。
あの時、黄河の堤防は開封の西北の五荘、京水鎮、許家堤等で同時に決壊した。
わが方の対外宣伝では敵の無差別爆撃による、といっていたが、
実はわが軍の前線の将軍が命令によって掘りくずしたのだった。
わが伝統兵法――「水、六軍を淹(ひた)す」だった。
しかし敵が水浸しになった程度はたかの知れたもので、むしろわが方の民間の
生命財産が想像もつかぬ犠牲をこうむった。
敵の迂回戦略は挫折したが、逆に正面攻撃戦術をとり、五方面の大軍で長江下流
から水陸を並進し、直接武漢を攻撃した。かくてしばしの安逸を貪っていた当局
も「大武漢を守れ」の呼びかけを出さざるを得なかった。
私たちが活躍すべき機会到来であった。
――――――
1938年年6月、開封が日本軍に占領されると、支那軍は日本軍の追撃を
断ち、日本軍を水攻めにするため黄河の堤防を破壊した。
ところが、支那は、この犯行を「日本軍がやった」と嘘報道した。
支那軍は自ら堤防を破壊しながら、それを日本軍がしたと逆宣伝したのだ。
★16日付東京朝日新聞夕刊
【上海特電十五日発】
上海軍当局談
「支那側は目下しきりに黄河堤防決壊は日本軍の所為なりと宣伝に努めつつ
あるが、決壊地点と称される京水鎮には、まだ、日本軍は進出しておらず…」
~~~~~~~~~~~~
事実は、この時、日本軍は濁流に飲まれる支那住民を救っていた。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4343.html#comment44717
★上記ブログ、タイトルとこの投稿内容とあまり関係なさそうですが、
上から少し下にスクロールしていってください。
★わたしが黄河花園口に行ったとき、中国人ガイドは「日本軍が黄河の堤防を
切ったことになっていますが、実は蒋介石軍が堤防を切り決壊させました」
と言っていました。
中国人でも、知っている人は知っているんです。
南京大屠殺でも、南京市民が日本の大学教授に、「れをやったのは日本軍では
ありませんよ、中共の軍です」と証言しています。
★無知でおひとよしの日本国民は、これまで特亜三国の狗反日左翼と
虚偽捏造民族・中共・南北朝鮮に完全に騙されいいようにされてきたのです。
いいかげんに覚醒しないと日本人は自分の国を失います。
ほんとうはもう遅いくらいです。
.
南北朝鮮人もそうだが、支那人も国に完全に騙されている。
★支那事変では一般民衆にも多くの犠牲者が出たが、それは
日本軍の殺害によるものではなく、支那軍の殺害によるものだった。
例えば1938年6月、
支那軍は黄河や揚子江の堤防を決壊させ支那民衆を大量に殺害した。
この時の死者数については、死者は河南省だけの少ない見積もりでも
32万人、記録によれば89万人とも100万人とも言われている。
●関連記事
黄河決壊事件
蒋介石が日本軍の進軍を阻止するため1938年6月11日夜黄河の堤防を破壊
死者数は89万人〜100万人(河南省だけの犯人の報告で32万人)
支那事変で住民を大量殺戮した支那軍と、懸命に救助した日本軍の代表的事件
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4274.html
★『抗日戦回想録』郭沫若自伝より
敵の最初の計画は、伝えられるところでは、大きく迂回した包囲戦略をとり、
隴海線に沿って西進し、さらに平漢線南半を奪って大武漢の背をつこうと
いうものだったという。しかしこの戦略は、6月11日の黄河堤防の決壊で、
河南省東部が沼沢地帯になったため、水の泡と化した。
あの時、黄河の堤防は開封の西北の五荘、京水鎮、許家堤等で同時に決壊した。
わが方の対外宣伝では敵の無差別爆撃による、といっていたが、
実はわが軍の前線の将軍が命令によって掘りくずしたのだった。
わが伝統兵法――「水、六軍を淹(ひた)す」だった。
しかし敵が水浸しになった程度はたかの知れたもので、むしろわが方の民間の
生命財産が想像もつかぬ犠牲をこうむった。
敵の迂回戦略は挫折したが、逆に正面攻撃戦術をとり、五方面の大軍で長江下流
から水陸を並進し、直接武漢を攻撃した。かくてしばしの安逸を貪っていた当局
も「大武漢を守れ」の呼びかけを出さざるを得なかった。
私たちが活躍すべき機会到来であった。
――――――
1938年年6月、開封が日本軍に占領されると、支那軍は日本軍の追撃を
断ち、日本軍を水攻めにするため黄河の堤防を破壊した。
ところが、支那は、この犯行を「日本軍がやった」と嘘報道した。
支那軍は自ら堤防を破壊しながら、それを日本軍がしたと逆宣伝したのだ。
★16日付東京朝日新聞夕刊
【上海特電十五日発】
上海軍当局談
「支那側は目下しきりに黄河堤防決壊は日本軍の所為なりと宣伝に努めつつ
あるが、決壊地点と称される京水鎮には、まだ、日本軍は進出しておらず…」
~~~~~~~~~~~~
事実は、この時、日本軍は濁流に飲まれる支那住民を救っていた。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4343.html#comment44717
★上記ブログ、タイトルとこの投稿内容とあまり関係なさそうですが、
上から少し下にスクロールしていってください。
★わたしが黄河花園口に行ったとき、中国人ガイドは「日本軍が黄河の堤防を
切ったことになっていますが、実は蒋介石軍が堤防を切り決壊させました」
と言っていました。
中国人でも、知っている人は知っているんです。
南京大屠殺でも、南京市民が日本の大学教授に、「れをやったのは日本軍では
ありませんよ、中共の軍です」と証言しています。
★無知でおひとよしの日本国民は、これまで特亜三国の狗反日左翼と
虚偽捏造民族・中共・南北朝鮮に完全に騙されいいようにされてきたのです。
いいかげんに覚醒しないと日本人は自分の国を失います。
ほんとうはもう遅いくらいです。
.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/187785.html