芸能の命・・賤民
投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2011/02/06 16:37 投稿番号: [186476 / 196466]
歌舞伎役者は言うまでもなく、相撲取りも一般の芸能人も、さらに言うならスポーツ選手も同様に、極端な言い方をすれば、これらは全て「この世の泡(あぶく)」みたいな存在なのだ。
彼ら芸能人は人間社会の秩序の外、身分制度の埒外(らちがい)に置かれた存在であり、言葉は悪いが、その出自は「賤民階級」なのだ。
それは日本に限らず世界の何処でも、芸を売って銭(ぜに)を稼ぐ所謂(いわゆる)芸能人は特殊の階級であった。
日本なら「河原乞食(かわらこじき)」と呼ばれ、中国で戲子(しーず
役者)と云うなら下層階級としてさげすまれた。
どんなに有名な役者でも所詮は世間様の「おもちゃ」であり、愛玩動物、ペットの類(たぐい)と同じなのだ。
歌舞伎役者も相撲取りも、昔は大名・豪商の「お抱(かか)え」であり、身分的には苦界(廓)に生きる「女郎」と同じだった。
金持ちの旦那に面白おかしく遊ばれ、そうやって何がしかの給金をいただく。そうやって生きてきたのだ。
世の中、バスの運転手さん、飛行機のパイロットがいなくなれば大変なことになる。世の中が動かなくなってしまうだろう。
だが、歌舞伎役者、相撲取り、歌手、芸能人がいなくなっても世の中としては多分、何の痛痒もないだろう。庶民の生活は全然困らない。
役者も相撲取りも、その他芸能人も自分が何者なのか・・考えなければならないのだ。その存在はあっても困らず、無くてもかまわない・・と云うぐらいに軽いだろう。
さればとて、身分から外れた賤しい存在であることを自覚し、恐れ入って卑下しろと云うのではない。
反対に、むしろ外れているからこそ世間の常識、世の中の秩序に縛られない自由があり、芸に専心できる特権を享受できるのだ。
役者なら舞台、相撲取りなら土俵がつとまればそれ以上は何も要らない。
ただし、残酷なもので世間の人気者であっても、明日はもう飽きられて打ち捨てられる。
まして、思い上がった傲慢な態度ならたちまち叩き潰される。
役者も相撲取りも「河原乞食」の賤民であることを自覚せねばならない。
実は、その精神こそが芸能の命なのだ。
生きるも死ぬも自分次第。世の中は誰も助けない。
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