Re: 推薦 / 中国歌曲
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/01/11 01:18 投稿番号: [185921 / 196466]
>聴いていて、ぞわぞわとしてきます。<
おそらく、日本人の淡白に比較して支那のものは非常に濃厚であり、
わざとらしいからではないでしょうか。
日本語は極端に母音の数が少ない言語で、漢語などを聞くと粘っていて
トリモチみたいな感じを受けるかもしれません。
映画などで見る女性の色気、愛する女を見る男の視線、しぐさなども、
同じ黄色人種とはいえ、完全に日本人と違います。
ピアノ演奏、さすがに指の動きはすごいと思いますが。
黄河のイメージは何も湧いてきませんし、曲自体がいいとも思わない。
なにしろ、垢抜けていない。
北京の天橋で見た漫才師を思い出しました。
支那ばかりではないと思いますが、
それぞれの国に、それぞれの風土と歴史が培ってきた芸術がある、
外国人がやってみたって、ものまねにすぎないと思います。
たとえば、漢詩はある時期から完全に歌になっています。
もともと漢語には音節にメロディがついていますし、最も美しく
聞こえるようにと平仄というきまりができてからのことです。
で、その漢詩を日本人が作る、愛好家はけっこうたくさんいます。
しかし、絶対に支那人のレベルを越えるものはできない。
逆に支那人が、日本の俳句や短歌を作っても絶対に日本人を越えることが
できない。そういうものだと思います。
支那は、人骨が必要であればいたるところから掘り出せます。
不自由はしません。そういう歴史の国です。
自国の為政者が虫けらのように自国民を大量殺戮してきた。
中共は人民の反感が中共に向かわないよう、かつて戦争相手だった日本の
したことだと、すべてを日本になすりつけており、支那人もみなそれを
信用しています。
真実を理解したチャイニーズは、日本に帰化しています。
石平さんや、支那豚の楽園さんのように。
そして、支那人を警戒しろと、警告を発しています。
http://blog.kajika.net/?eid=842668
上記の本ですが、ここの書評には書いてありませんが、この著者は
さりげなく、日本人が行ったとされる蛮行・殺戮について疑問を呈しています。
支那の土地はここほれわんわん、掘ればいくらでも骨が出てくる。
そういう骨を集めて、日本人が殺したといいふらせばいいのです。
>「人民は戦乱に苦しみ、盗賊に襲われ奪われ、餓死者は埋葬されること
なく路頭に打ち棄てられ、犬や豚に食べられ、ヒトがヒトを食べる」
のだが、これぞ「猟奇小説ではなく正真正銘の正史」、
まことに中国大陸は「おぞましき地獄絵図だ」。<
なにがなんでも死体を故郷に送り届けなければならない。
先祖代々の墓に埋葬するのが当然だからです。
旅に死んだ杜甫の死体も、その地で假埋葬し、ほぼ60年後に杜甫の孫が
ひきとりにきています。長安あたりから洞庭湖にまでです。
そこで死体を運ぶ業者がいる。どうやって運ぶのか。
死体に走ってもらいます。
二人の早足の男がサオを二本、立たせた死体の脇に通し、駆けに駆けるのです。
はたから見れば、三人で走っているように見えます。
こんな愉快な記述もあります。
日本の「牡丹灯篭」は、支那の小説のやきなおしですが、はじめて読んだとき、
なぜいつまでも死んだ人を棺桶に入れたまま寺に預けておくのか、と
不思議に思ったこともありますが、支那の風習ですね。
日本には、やってもいないことをやったやったと、信じ込んでいるのか、
それとも何かの都合か事情があってのことか、主張する人がいるので
たいへんに迷惑です。国賊・売国奴ですね。国の政策を左右しますから。
教育のシステム、教員、官僚からすべて入れ替えする必要があります。
早くまともな政権ができてほしいものです。
>もっとも、何もかも自分たちが悪かったとして事実を探求することを
拒んでいる国もありますし、全てをヒトラーとナチスのせいにして
善人ずらしている国もありますけど。<
おそらく、日本人の淡白に比較して支那のものは非常に濃厚であり、
わざとらしいからではないでしょうか。
日本語は極端に母音の数が少ない言語で、漢語などを聞くと粘っていて
トリモチみたいな感じを受けるかもしれません。
映画などで見る女性の色気、愛する女を見る男の視線、しぐさなども、
同じ黄色人種とはいえ、完全に日本人と違います。
ピアノ演奏、さすがに指の動きはすごいと思いますが。
黄河のイメージは何も湧いてきませんし、曲自体がいいとも思わない。
なにしろ、垢抜けていない。
北京の天橋で見た漫才師を思い出しました。
支那ばかりではないと思いますが、
それぞれの国に、それぞれの風土と歴史が培ってきた芸術がある、
外国人がやってみたって、ものまねにすぎないと思います。
たとえば、漢詩はある時期から完全に歌になっています。
もともと漢語には音節にメロディがついていますし、最も美しく
聞こえるようにと平仄というきまりができてからのことです。
で、その漢詩を日本人が作る、愛好家はけっこうたくさんいます。
しかし、絶対に支那人のレベルを越えるものはできない。
逆に支那人が、日本の俳句や短歌を作っても絶対に日本人を越えることが
できない。そういうものだと思います。
支那は、人骨が必要であればいたるところから掘り出せます。
不自由はしません。そういう歴史の国です。
自国の為政者が虫けらのように自国民を大量殺戮してきた。
中共は人民の反感が中共に向かわないよう、かつて戦争相手だった日本の
したことだと、すべてを日本になすりつけており、支那人もみなそれを
信用しています。
真実を理解したチャイニーズは、日本に帰化しています。
石平さんや、支那豚の楽園さんのように。
そして、支那人を警戒しろと、警告を発しています。
http://blog.kajika.net/?eid=842668
上記の本ですが、ここの書評には書いてありませんが、この著者は
さりげなく、日本人が行ったとされる蛮行・殺戮について疑問を呈しています。
支那の土地はここほれわんわん、掘ればいくらでも骨が出てくる。
そういう骨を集めて、日本人が殺したといいふらせばいいのです。
>「人民は戦乱に苦しみ、盗賊に襲われ奪われ、餓死者は埋葬されること
なく路頭に打ち棄てられ、犬や豚に食べられ、ヒトがヒトを食べる」
のだが、これぞ「猟奇小説ではなく正真正銘の正史」、
まことに中国大陸は「おぞましき地獄絵図だ」。<
なにがなんでも死体を故郷に送り届けなければならない。
先祖代々の墓に埋葬するのが当然だからです。
旅に死んだ杜甫の死体も、その地で假埋葬し、ほぼ60年後に杜甫の孫が
ひきとりにきています。長安あたりから洞庭湖にまでです。
そこで死体を運ぶ業者がいる。どうやって運ぶのか。
死体に走ってもらいます。
二人の早足の男がサオを二本、立たせた死体の脇に通し、駆けに駆けるのです。
はたから見れば、三人で走っているように見えます。
こんな愉快な記述もあります。
日本の「牡丹灯篭」は、支那の小説のやきなおしですが、はじめて読んだとき、
なぜいつまでも死んだ人を棺桶に入れたまま寺に預けておくのか、と
不思議に思ったこともありますが、支那の風習ですね。
日本には、やってもいないことをやったやったと、信じ込んでいるのか、
それとも何かの都合か事情があってのことか、主張する人がいるので
たいへんに迷惑です。国賊・売国奴ですね。国の政策を左右しますから。
教育のシステム、教員、官僚からすべて入れ替えする必要があります。
早くまともな政権ができてほしいものです。
>もっとも、何もかも自分たちが悪かったとして事実を探求することを
拒んでいる国もありますし、全てをヒトラーとナチスのせいにして
善人ずらしている国もありますけど。<
これは メッセージ 185917 (soutennohoshi さん)への返信です.
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