Re: 中国特有の難癖
投稿者: run_run72 投稿日時: 2010/12/19 12:33 投稿番号: [185671 / 196466]
>友好するなら、金をくれ。資源もよこせ。領土もよこせ。技術もよこせ。
>四の五の言うな。
>チャイナ様が友好してやっているんだぞ。
>いやなら核ミサイルをお見舞いしてやろうか。
>さあ、友好しよう。
ここにくる中国人達の思考も、つまるところ、上の通りでしょう(笑)
本人達がしばしばそういっていますから、まちがいありません。
>私たち日本人は、"友好"と言うと、お互いに尊重し合い、助け合い、信頼することだと思っていますが、
チャイニーズは違うのでしょう。
チャイニーズのみならず、日本人以外は違うのでしょうね(笑)
>ラ・ロシュフーコーの言葉に以下のようなものがあります。
>「世間の人が友愛と呼んでいるものは、ただの社交、欲望の駆け引き、親切のとりかえっこに過ぎない。結局自愛が常に何かの得をしようとする一種の取引に過ぎない。」
上の言葉を読んだとき、昔、読んだハナシを思い出しました。
ストーリーは、以下のようなもの。
地獄と極楽は同じものである。
極楽には、食べ物がぐつぐつ煮えた大鍋がおいてあって、人々が大なべを取り囲んでいる。人々は、長い長い箸を持っている(長すぎて自分で食べるのは不可能)。
鍋の周りにいる人々は、長い箸を使って鍋の中でおいしそうに煮えた食べ物を取って、鍋の周りの他の人に食べさせてあげる。自分もまた、他の人が同じようにして食べさせてくれるから飢えることはなく、皆ニコニコしている。
他方、地獄でも、同じように、食べ物がぐつぐつ煮えた大鍋がおいてあり、それぞれ、長い長い箸を持たされている。地獄の人々は他人のことなどおかまいなしに、自分自身で食べようとするので決して食べ物を口にすることはできない。
このように、極楽も地獄も同じものであり、人の心のありようで、極楽にも地獄にもなるのである・・とまあ、概略こういうストーリーであったと思います。
私の読んだ時期は、はるか昔で、 そのときは本当に感動しました。
自分の心根を恥じもしましたが・・・
カキコするに当って、このハナシの元ネタは?と思ってぐぐって見ましたが、軽くぐふっただけでは出典はわかりませんでしたが(笑)。
稲盛和夫氏(得度されてます)のブログに何年か前に書いてあったらしい話を引用したものがたくさんでてきました。
中に、長妻昭のブログがあって、そこに稲盛氏ソースのストーリがありますので、ご覧ください。(私が読んだときは饂飩ではありませんでしたがww)
坊さんならともかく、政治家が、こういう信念と心情で外交や政治をされたのでは・・と、うんざりします。まあ、建前だけならいいですがね・・。
特にシナを相手にするときは、シナ人というものを十分知っていただきたいですわ。
シナもシナ人も利他の心には無縁ですネ。
http://naga.tv/profile/words/index.html
>地獄にも極楽にもそれはそれは大きな釜があって、お湯がぐつぐつ煮立っている。うどんを湯がいているその大きな鍋の周りを、腹をすかした者たちが10人も20人も取り巻いている。手にはつけ汁のお椀と2mもある長い箸を持っている。ここから先が違うのだ。
地獄では、みんなが我先に争って箸を突っ込む。何とか、うどんをつかむことはできるのだけれども、箸が2mもあるものだから手元のつけ汁のお椀にまで持ってくることができないし、食べることもできない。そうこうするうちに、向こう側にいる者が箸先に引っ掛かっているうどんを横取りしようとするので、「それは俺のもんだぞ、食うな」と怒り、相手を箸の先で叩き、突く。すると「何を、この野郎」と相手も突き返してくる。
そんなことがそこらじゅうで始まって、うどんは鍋から飛び散ってしまって、誰も1本も食べられずに、殴り合いの喧嘩が始まってしまう。もう阿鼻叫喚の巷と化してしまうのだ。それが地獄なのである。
では、極楽というのはどうなっているのか。極楽にいる者は皆、利他の心、他人を思いやる美しい心を持っている。2mの箸でうどんをつかんだら、釜の向こう側の人のつけ汁につけて、「さあ、あなたからお先にどうぞ」と言って食べさせてあげる。すると、今度は向こう側の人が同じように自分に食べさせてくれる。1本たりともうどんを無駄にすることなく、みんながおなかいっぱい食べられる。<
こういう話もつきあう相手によっては毒になりそうですね。
上のエピソードで地獄の行動様式しかもたない相手に
饂飩を食べさせてやることばかり考えていてもね・・。
饂飩をすべて食べさせてやったた挙句、
鍋に投げ込まれて煮殺されて食われるのがオチです。
それが彼等の
>四の五の言うな。
>チャイナ様が友好してやっているんだぞ。
>いやなら核ミサイルをお見舞いしてやろうか。
>さあ、友好しよう。
ここにくる中国人達の思考も、つまるところ、上の通りでしょう(笑)
本人達がしばしばそういっていますから、まちがいありません。
>私たち日本人は、"友好"と言うと、お互いに尊重し合い、助け合い、信頼することだと思っていますが、
チャイニーズは違うのでしょう。
チャイニーズのみならず、日本人以外は違うのでしょうね(笑)
>ラ・ロシュフーコーの言葉に以下のようなものがあります。
>「世間の人が友愛と呼んでいるものは、ただの社交、欲望の駆け引き、親切のとりかえっこに過ぎない。結局自愛が常に何かの得をしようとする一種の取引に過ぎない。」
上の言葉を読んだとき、昔、読んだハナシを思い出しました。
ストーリーは、以下のようなもの。
地獄と極楽は同じものである。
極楽には、食べ物がぐつぐつ煮えた大鍋がおいてあって、人々が大なべを取り囲んでいる。人々は、長い長い箸を持っている(長すぎて自分で食べるのは不可能)。
鍋の周りにいる人々は、長い箸を使って鍋の中でおいしそうに煮えた食べ物を取って、鍋の周りの他の人に食べさせてあげる。自分もまた、他の人が同じようにして食べさせてくれるから飢えることはなく、皆ニコニコしている。
他方、地獄でも、同じように、食べ物がぐつぐつ煮えた大鍋がおいてあり、それぞれ、長い長い箸を持たされている。地獄の人々は他人のことなどおかまいなしに、自分自身で食べようとするので決して食べ物を口にすることはできない。
このように、極楽も地獄も同じものであり、人の心のありようで、極楽にも地獄にもなるのである・・とまあ、概略こういうストーリーであったと思います。
私の読んだ時期は、はるか昔で、 そのときは本当に感動しました。
自分の心根を恥じもしましたが・・・
カキコするに当って、このハナシの元ネタは?と思ってぐぐって見ましたが、軽くぐふっただけでは出典はわかりませんでしたが(笑)。
稲盛和夫氏(得度されてます)のブログに何年か前に書いてあったらしい話を引用したものがたくさんでてきました。
中に、長妻昭のブログがあって、そこに稲盛氏ソースのストーリがありますので、ご覧ください。(私が読んだときは饂飩ではありませんでしたがww)
坊さんならともかく、政治家が、こういう信念と心情で外交や政治をされたのでは・・と、うんざりします。まあ、建前だけならいいですがね・・。
特にシナを相手にするときは、シナ人というものを十分知っていただきたいですわ。
シナもシナ人も利他の心には無縁ですネ。
http://naga.tv/profile/words/index.html
>地獄にも極楽にもそれはそれは大きな釜があって、お湯がぐつぐつ煮立っている。うどんを湯がいているその大きな鍋の周りを、腹をすかした者たちが10人も20人も取り巻いている。手にはつけ汁のお椀と2mもある長い箸を持っている。ここから先が違うのだ。
地獄では、みんなが我先に争って箸を突っ込む。何とか、うどんをつかむことはできるのだけれども、箸が2mもあるものだから手元のつけ汁のお椀にまで持ってくることができないし、食べることもできない。そうこうするうちに、向こう側にいる者が箸先に引っ掛かっているうどんを横取りしようとするので、「それは俺のもんだぞ、食うな」と怒り、相手を箸の先で叩き、突く。すると「何を、この野郎」と相手も突き返してくる。
そんなことがそこらじゅうで始まって、うどんは鍋から飛び散ってしまって、誰も1本も食べられずに、殴り合いの喧嘩が始まってしまう。もう阿鼻叫喚の巷と化してしまうのだ。それが地獄なのである。
では、極楽というのはどうなっているのか。極楽にいる者は皆、利他の心、他人を思いやる美しい心を持っている。2mの箸でうどんをつかんだら、釜の向こう側の人のつけ汁につけて、「さあ、あなたからお先にどうぞ」と言って食べさせてあげる。すると、今度は向こう側の人が同じように自分に食べさせてくれる。1本たりともうどんを無駄にすることなく、みんながおなかいっぱい食べられる。<
こういう話もつきあう相手によっては毒になりそうですね。
上のエピソードで地獄の行動様式しかもたない相手に
饂飩を食べさせてやることばかり考えていてもね・・。
饂飩をすべて食べさせてやったた挙句、
鍋に投げ込まれて煮殺されて食われるのがオチです。
それが彼等の
これは メッセージ 185660 (soutennohoshi さん)への返信です.
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