Re: ブログ「支那豚の楽園」より
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2010/11/26 23:08 投稿番号: [185418 / 196466]
こんばんは、おひさしぶりです。
でも、安藤さんのご活躍はかねがね目にして、心強く思っております。
その古代イスラエルも、現代のアフガン・インドも、女性を人間と思っていなくて
自分の所有物だと考えているのだと思います。
だから、生かそうが殺そうが俺の勝手だと。
ついこのあいだまで支那もそうでした。
ところが中共が政権を奪取する前後あたり、男だけだと人手が足りない。
女も駆り出さなければやっていけないので、
「婦女半辺天(世界の半分は女性が支えている)」
とかなんとかおだてた結果、現在では女性がかなり強くなりました。
そして、かわいげもなくなってしまいました。
>というわけで、いちいち礼節をこってり説く理由は、
礼節がないからだと友人が言います。
つまり、孔子の教えが花開いた日本に礼節があり、当時も今も支那では
礼節なんか欠片もないと、言うことかなあと思いました。<
安藤さんのおっしゃるとおりだと思います。
日本人の温和で誠実、純情な民族性が、
孔子の教えとしっくりいったのではないですか。
日本人の高い道徳性はここに由来していると思います。
間違っても、よその店の前で、しかも衆人環視の場所で排泄したりしません。
わたしは蘭州のバザールで、にぎやかな道の真ん中で五歳くらいの女の子が
しゃがんでウンウンしているところを見たことがあります。
誰がかたづけるんでしょうか・・・・・
わたしの知っている先生は、中国の列車に乗って座席で男の子がオシッコをして
カバンにオシッコがかかり、モンクを言ったら「子どものオシッコの何が汚いか」
と反対に怒られたそうです。
さて有名な『老子』「第十八章」でも、このように言っております。
「大道廃有仁義、慧智出有大偽、六親不和有孝慈、国家昏乱有忠臣」
大道廃れて仁義有り、慧智出でて大偽有り、
六親和せずして孝慈有り、国家昏乱して忠臣有り、
真実の道がなくなったので、世間で仁とか義とかやかましく言うようになった。
人間によけいな知恵がついたから、作り事ニセモノがはびこる。
家族の仲が悪くなったから、親に孝とか、子に慈とか言われる。
国家が乱れているから、忠臣という輩が出現する。
と言っています。特に冒頭の一節は有名です。
支那では、儒教などほとんどの民衆には何の関係もなかったのです。
近代の小説を読んでも、孔子なんて見たことも聞いたこともないという
農民のセリフが出てきます。
日本人には、ここに大きな誤解があるのです。
儒教は後漢の時代に国教化され、後には科挙制度ができ問題が四書五経から
出題されるようになり、知識人の教養として学ぶ必要がありましたが、
形骸化してしまって、精神の修養とはほぼ無関係になりました。
それで後に「知行合一」をいう陽明学の一派が出現しました。
レスをありがとうございました。
また、よろしくお願いいたします。
.
でも、安藤さんのご活躍はかねがね目にして、心強く思っております。
その古代イスラエルも、現代のアフガン・インドも、女性を人間と思っていなくて
自分の所有物だと考えているのだと思います。
だから、生かそうが殺そうが俺の勝手だと。
ついこのあいだまで支那もそうでした。
ところが中共が政権を奪取する前後あたり、男だけだと人手が足りない。
女も駆り出さなければやっていけないので、
「婦女半辺天(世界の半分は女性が支えている)」
とかなんとかおだてた結果、現在では女性がかなり強くなりました。
そして、かわいげもなくなってしまいました。
>というわけで、いちいち礼節をこってり説く理由は、
礼節がないからだと友人が言います。
つまり、孔子の教えが花開いた日本に礼節があり、当時も今も支那では
礼節なんか欠片もないと、言うことかなあと思いました。<
安藤さんのおっしゃるとおりだと思います。
日本人の温和で誠実、純情な民族性が、
孔子の教えとしっくりいったのではないですか。
日本人の高い道徳性はここに由来していると思います。
間違っても、よその店の前で、しかも衆人環視の場所で排泄したりしません。
わたしは蘭州のバザールで、にぎやかな道の真ん中で五歳くらいの女の子が
しゃがんでウンウンしているところを見たことがあります。
誰がかたづけるんでしょうか・・・・・
わたしの知っている先生は、中国の列車に乗って座席で男の子がオシッコをして
カバンにオシッコがかかり、モンクを言ったら「子どものオシッコの何が汚いか」
と反対に怒られたそうです。
さて有名な『老子』「第十八章」でも、このように言っております。
「大道廃有仁義、慧智出有大偽、六親不和有孝慈、国家昏乱有忠臣」
大道廃れて仁義有り、慧智出でて大偽有り、
六親和せずして孝慈有り、国家昏乱して忠臣有り、
真実の道がなくなったので、世間で仁とか義とかやかましく言うようになった。
人間によけいな知恵がついたから、作り事ニセモノがはびこる。
家族の仲が悪くなったから、親に孝とか、子に慈とか言われる。
国家が乱れているから、忠臣という輩が出現する。
と言っています。特に冒頭の一節は有名です。
支那では、儒教などほとんどの民衆には何の関係もなかったのです。
近代の小説を読んでも、孔子なんて見たことも聞いたこともないという
農民のセリフが出てきます。
日本人には、ここに大きな誤解があるのです。
儒教は後漢の時代に国教化され、後には科挙制度ができ問題が四書五経から
出題されるようになり、知識人の教養として学ぶ必要がありましたが、
形骸化してしまって、精神の修養とはほぼ無関係になりました。
それで後に「知行合一」をいう陽明学の一派が出現しました。
レスをありがとうございました。
また、よろしくお願いいたします。
.
これは メッセージ 185407 (and_so_on1 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/185418.html