哲学論議
投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2010/06/21 21:30 投稿番号: [183085 / 196466]
またゴミ達が漫才を始めた。
周恩来はコミンテルンが孫文達に植え付けた中国共産党発足の時からの党員だが、毛沢東は独自に農民革命を始めて、後に共産党に合流し、結果として共産党を乗っ取った。
周恩来は、毛沢東に逆らうことで自分の命脈がつきることをおそれ、一生毛沢東の補佐役に徹しただけであり、文革の最中も失脚することなく、不倒翁と呼ばれた。
基礎の基礎。
ま、ヘドロをかき回せばメタンガスが泡になって出てくる。もうすこし、シンチョウにかき回すべきか。でも所詮中国ヘドロだし。
序でだから。
あの大躍進政策は、毛沢東がフルシチョフと成果を競い合った結果の、いわば当人の妄想から起きた。
1957年毛沢東がモスクワを訪れた際、フルシチョフがソ連は15年でアメリカを追い越すと言ったので、毛沢東も中国はやはりアメリカを15年で追い越すと宣言した。当時の中国はソ連の足元にも及ばない生産力であり、当然荒唐無稽な見栄だったが、毛沢東は大まじめだった。
そのための手段が鉄の大増産であり、毛沢東は当時年間1000万トン程度であった中国の鉄鋼生産量を一年間で2億7千万トンにすると宣言した。
そのために製鉄工場など作る時間はないので全農民を動員し、各地で原始的な年度による製鉄炉を作らせ、鉄を作ることを命じたが、そのためには農民が一年間農業を休まなくてはならず、そのためには備蓄食料をあらかじめ用意する必要がある。
そのため、当時の生産量2億5千万トンを一挙に5億トンに引き上げる命令を出した。もちろん、毛沢東が命じたからと言って、米や麦の生長が倍になるわけもなく、結果として地方の役人達は水増しした数字を地方に出した。それも競って水増しをしたので、毛沢東の元には当然、目標を上回る生産量が報告された。その体質はGDPを水増しして宝庫する今も全く変わらない。
水増しされた食料生産高に対し、もちろん政府はそれまでの倍の食料を供出するように命じた。
その結果、地方の備蓄量がなくなり、また始まった全国規模の鉄鋼増産のために、ますます食料生産量が激減した。その年の秋から徐々に各地で餓死者が出始めたが、もちろん、当初は相変わらず景気の良い数字が中央にあげられた。
また、中国は外貨を獲得するために、地方から集めた食料をソ連や東欧諸国に輸出した。そのため中国にはますます食料が無くなり、餓死者の数は急激に増えていった。
一方、泥を固めて作った炉で作った鉄など使い物になるはずもなく、最後には鍋釜はもちろん、鋤鍬などの農機具まで炉に放り込んでノルマを達成しなければならなかった。
結果として食料生産はほぼ止まり、来年の種まで食い尽くした地域では、餓死者の数はさらに急上昇し、大規模な食人が始まった。最初は死人を食べていたが、後には病人、死にかけた者、さらに子供を生きたまま食べるようになった。さすがに自分の子供を食べるのは気が咎めたので他人の、それも出来るだけ遠くの子供と自分の子供を交換して、殺して食べたと記録にある。コバなどが食われずに済んだのは、よほど親が党に取り入るなどして食料を確保していたためだろうと推量する。
毛沢東は、自分の計画が間違っていたことを後になって知ったようだが、命令を撤回することはなかった。もし撤回すれば自らの過ちを認めたことになり、権威失墜することになるからだ。中国でいったん権力の座にあった者がその地位を失った場合どうなるかはもちろん、毛沢東は知っていた。日本では政権を失っても再起のチャンスはいくらでもあるが、中国では政権を失うことは虐殺に会うことを意味していた。
大躍進が進行していた間に死んだ人間、食われた人間、殺された人間は最低でも2000万人(コバが喜んでいた数)から、根拠のある数字として1億人までが伝えられている。
また役に立たない鉄を作るために山から木を切り出し燃料としたため、土地はあれ、中国の食料生産性は極端に落ちて、その後の長期間にわたり慢性的な食糧不足が続いた。
この失策により権力の頂点から追われた毛沢東が起こしたのは例の文革であり、さらに中国を未開国に押し戻した。
jjc+付録がなにかまたあぶくを吹いたら、文革について説明したいと思う。もちろん、95%が嘘である、中国の歴史教科書には載っていず、jjc+付録には良い勉強になるだろう。感謝してほしいものだ。
周恩来はコミンテルンが孫文達に植え付けた中国共産党発足の時からの党員だが、毛沢東は独自に農民革命を始めて、後に共産党に合流し、結果として共産党を乗っ取った。
周恩来は、毛沢東に逆らうことで自分の命脈がつきることをおそれ、一生毛沢東の補佐役に徹しただけであり、文革の最中も失脚することなく、不倒翁と呼ばれた。
基礎の基礎。
ま、ヘドロをかき回せばメタンガスが泡になって出てくる。もうすこし、シンチョウにかき回すべきか。でも所詮中国ヘドロだし。
序でだから。
あの大躍進政策は、毛沢東がフルシチョフと成果を競い合った結果の、いわば当人の妄想から起きた。
1957年毛沢東がモスクワを訪れた際、フルシチョフがソ連は15年でアメリカを追い越すと言ったので、毛沢東も中国はやはりアメリカを15年で追い越すと宣言した。当時の中国はソ連の足元にも及ばない生産力であり、当然荒唐無稽な見栄だったが、毛沢東は大まじめだった。
そのための手段が鉄の大増産であり、毛沢東は当時年間1000万トン程度であった中国の鉄鋼生産量を一年間で2億7千万トンにすると宣言した。
そのために製鉄工場など作る時間はないので全農民を動員し、各地で原始的な年度による製鉄炉を作らせ、鉄を作ることを命じたが、そのためには農民が一年間農業を休まなくてはならず、そのためには備蓄食料をあらかじめ用意する必要がある。
そのため、当時の生産量2億5千万トンを一挙に5億トンに引き上げる命令を出した。もちろん、毛沢東が命じたからと言って、米や麦の生長が倍になるわけもなく、結果として地方の役人達は水増しした数字を地方に出した。それも競って水増しをしたので、毛沢東の元には当然、目標を上回る生産量が報告された。その体質はGDPを水増しして宝庫する今も全く変わらない。
水増しされた食料生産高に対し、もちろん政府はそれまでの倍の食料を供出するように命じた。
その結果、地方の備蓄量がなくなり、また始まった全国規模の鉄鋼増産のために、ますます食料生産量が激減した。その年の秋から徐々に各地で餓死者が出始めたが、もちろん、当初は相変わらず景気の良い数字が中央にあげられた。
また、中国は外貨を獲得するために、地方から集めた食料をソ連や東欧諸国に輸出した。そのため中国にはますます食料が無くなり、餓死者の数は急激に増えていった。
一方、泥を固めて作った炉で作った鉄など使い物になるはずもなく、最後には鍋釜はもちろん、鋤鍬などの農機具まで炉に放り込んでノルマを達成しなければならなかった。
結果として食料生産はほぼ止まり、来年の種まで食い尽くした地域では、餓死者の数はさらに急上昇し、大規模な食人が始まった。最初は死人を食べていたが、後には病人、死にかけた者、さらに子供を生きたまま食べるようになった。さすがに自分の子供を食べるのは気が咎めたので他人の、それも出来るだけ遠くの子供と自分の子供を交換して、殺して食べたと記録にある。コバなどが食われずに済んだのは、よほど親が党に取り入るなどして食料を確保していたためだろうと推量する。
毛沢東は、自分の計画が間違っていたことを後になって知ったようだが、命令を撤回することはなかった。もし撤回すれば自らの過ちを認めたことになり、権威失墜することになるからだ。中国でいったん権力の座にあった者がその地位を失った場合どうなるかはもちろん、毛沢東は知っていた。日本では政権を失っても再起のチャンスはいくらでもあるが、中国では政権を失うことは虐殺に会うことを意味していた。
大躍進が進行していた間に死んだ人間、食われた人間、殺された人間は最低でも2000万人(コバが喜んでいた数)から、根拠のある数字として1億人までが伝えられている。
また役に立たない鉄を作るために山から木を切り出し燃料としたため、土地はあれ、中国の食料生産性は極端に落ちて、その後の長期間にわたり慢性的な食糧不足が続いた。
この失策により権力の頂点から追われた毛沢東が起こしたのは例の文革であり、さらに中国を未開国に押し戻した。
jjc+付録がなにかまたあぶくを吹いたら、文革について説明したいと思う。もちろん、95%が嘘である、中国の歴史教科書には載っていず、jjc+付録には良い勉強になるだろう。感謝してほしいものだ。
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