中国虐殺史
投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2010/06/14 23:48 投稿番号: [182843 / 196466]
年度
事件
犯人
被害者数
対象
事件の概略
1851年
太平天国の乱
洪秀全
2000万人〜3000万人
多くは民間人
キリスト教的理想を掲げた地上の天国を作り出そうとした洪秀全が、女の平等,財産の均等をかかげ,伝統文化を破壊し,各地で略奪を繰り返した
1860年〜1870年代
回教徒の乱
清王朝
2000万人〜3000万人
回教徒
雲南の大理に集結したイスラム教徒の鎮圧、この弾圧で、回族は中国人口の1割を占めていたが、現在の1%にまで減少したという。
1900年
義和団の乱
義和団を称する秘密結社と西太后
死者数は757名、負傷者数は2654名
日本人がもっとも被害受ける
中国に居留していた外国民間人
中国清朝末期の民間人殺戮。当初は義和団を称する秘密結社による排外運動であったが、後に西太后が加担する。
1928年(昭和3)
済南事件
蒋介石
日本人居留民の被害人員約400名、死者12名/日本軍の損害は、死者26名、負傷者157名。
日本の民間人
蒋介石から治安を保障するので日本軍は撤去して欲しいとの要望があり、日本軍撤退後、居留民に暴行・殺害に及ぶ
1928年(昭和3年)〜1934年(昭和9年)
国共内戦
蒋介石・毛沢東
数百万人(上限1千万人)
民間人も多くの被害
国民党と共産党の内戦
1937年(昭和12年)
通州事件
蒋介石
約420名を襲撃し、約230名が虐殺された
日本の民間人
冀東防共自治政府保安隊が民間人襲撃、国民党と内通していた説有力。女性の性器に棒を突っ込み殺すなどの
殺戮方法が余りにも残虐
だった
1938年(昭和13年)
黄河決壊事件
蒋介石
国民政府発表(死者約32万人、離郷者数約63万人)/中共政府(罹災者;1000万人)
河南省の農民
日本軍の進撃を食い止める目的で、河南省の花園口付近で堤防を爆破し、黄河を決壊させた。洪水によって敵を制する“以水代兵”を目論む。
蒋介石談「有史以来、中国の為政者にとって最大の事業の一つ。」
〜1953年(昭和18年)
三反五反運動
毛沢東
71万人を処刑、129万人を逮捕、123万人を拘束
旧国民党、富裕層、資本家
反共・反政府運動が続発し、反革命活動の鎮圧に乗り出す。
1947年(昭和21年)
二二八事件
蒋介石
19,000〜28,000人(数十万との説も)
主に台湾の知識層
外省人や国民党軍や国民党政府への抗議行動や暴動を含む大規模な抵抗運動に、大規模な掃討と鎮圧(弾圧)を行なった。その後、世界最長の30年に及ぶ厳戒令を敷く。白色テロともいう。
1946年(昭和21年)〜1949年(昭和24年)
国共内戦の再発
蒋介石・毛沢東
300万人
民間人も多くの被害
国民党と共産党の内戦
1946年(昭和21年)〜
東トルキスタンの虐殺
毛沢東
他
1000万人以上
新疆地区のウイグルの民間人
「新疆開放」の名目の元で、850万人が強制中絶、核実験の放射能によって75万人が死亡・50万人以上が虐殺。
1949年(昭和24年)〜1979年(昭和44年)
チベット大虐殺
毛沢東・胡錦濤
他
20万人以上(実態はほとんどは把握されていない)
チベットの民間人
1951年、中共・チベット17カ条協定締結後、「チベットからの帝国主義勢力の駆遂」の元で虐殺、アムドのゴロク地区の弾圧だけでも、1956年に130,000あった人口が、1963年にはおよそ60,000までに減ったとされる。
1958年(昭和23年)〜1959年(昭和24年)
大躍進政策
毛沢東
餓死者数は2000万〜5000万
多くは中国農民
杜撰な計画の元で行った農工業の大増産政策。ノルマの水増し報告をして、悪循環となり悲劇を生む。
1960年代後半〜1970年代前半
文化大革命
毛沢東と4人組
1000万人(一説には3000万人)
学者、医者、などの知識人等
共産党内部の権力闘争。広西省では、忠誠心を誇示するため、人肉を競って食肉しあい事件も起こる。文化財も多く破損
◆その他、昭和10年頃、広東でライ病患者50〜60名に対し、金品など金目の物を奪い、その後片っ端から銃殺など、小さな虐殺をあげたらきりが無い。
◆数字についてはかなりの諸説あるが、少なく見積もっても、この150年余りで、1億人以上、人口の1割以上が何らかの形で虐殺されている。
JJCSの光栄ある祖国の近代史 そして、この歴史は今も日々新たに書き換えられている。
事件
犯人
被害者数
対象
事件の概略
1851年
太平天国の乱
洪秀全
2000万人〜3000万人
多くは民間人
キリスト教的理想を掲げた地上の天国を作り出そうとした洪秀全が、女の平等,財産の均等をかかげ,伝統文化を破壊し,各地で略奪を繰り返した
1860年〜1870年代
回教徒の乱
清王朝
2000万人〜3000万人
回教徒
雲南の大理に集結したイスラム教徒の鎮圧、この弾圧で、回族は中国人口の1割を占めていたが、現在の1%にまで減少したという。
1900年
義和団の乱
義和団を称する秘密結社と西太后
死者数は757名、負傷者数は2654名
日本人がもっとも被害受ける
中国に居留していた外国民間人
中国清朝末期の民間人殺戮。当初は義和団を称する秘密結社による排外運動であったが、後に西太后が加担する。
1928年(昭和3)
済南事件
蒋介石
日本人居留民の被害人員約400名、死者12名/日本軍の損害は、死者26名、負傷者157名。
日本の民間人
蒋介石から治安を保障するので日本軍は撤去して欲しいとの要望があり、日本軍撤退後、居留民に暴行・殺害に及ぶ
1928年(昭和3年)〜1934年(昭和9年)
国共内戦
蒋介石・毛沢東
数百万人(上限1千万人)
民間人も多くの被害
国民党と共産党の内戦
1937年(昭和12年)
通州事件
蒋介石
約420名を襲撃し、約230名が虐殺された
日本の民間人
冀東防共自治政府保安隊が民間人襲撃、国民党と内通していた説有力。女性の性器に棒を突っ込み殺すなどの
殺戮方法が余りにも残虐
だった
1938年(昭和13年)
黄河決壊事件
蒋介石
国民政府発表(死者約32万人、離郷者数約63万人)/中共政府(罹災者;1000万人)
河南省の農民
日本軍の進撃を食い止める目的で、河南省の花園口付近で堤防を爆破し、黄河を決壊させた。洪水によって敵を制する“以水代兵”を目論む。
蒋介石談「有史以来、中国の為政者にとって最大の事業の一つ。」
〜1953年(昭和18年)
三反五反運動
毛沢東
71万人を処刑、129万人を逮捕、123万人を拘束
旧国民党、富裕層、資本家
反共・反政府運動が続発し、反革命活動の鎮圧に乗り出す。
1947年(昭和21年)
二二八事件
蒋介石
19,000〜28,000人(数十万との説も)
主に台湾の知識層
外省人や国民党軍や国民党政府への抗議行動や暴動を含む大規模な抵抗運動に、大規模な掃討と鎮圧(弾圧)を行なった。その後、世界最長の30年に及ぶ厳戒令を敷く。白色テロともいう。
1946年(昭和21年)〜1949年(昭和24年)
国共内戦の再発
蒋介石・毛沢東
300万人
民間人も多くの被害
国民党と共産党の内戦
1946年(昭和21年)〜
東トルキスタンの虐殺
毛沢東
他
1000万人以上
新疆地区のウイグルの民間人
「新疆開放」の名目の元で、850万人が強制中絶、核実験の放射能によって75万人が死亡・50万人以上が虐殺。
1949年(昭和24年)〜1979年(昭和44年)
チベット大虐殺
毛沢東・胡錦濤
他
20万人以上(実態はほとんどは把握されていない)
チベットの民間人
1951年、中共・チベット17カ条協定締結後、「チベットからの帝国主義勢力の駆遂」の元で虐殺、アムドのゴロク地区の弾圧だけでも、1956年に130,000あった人口が、1963年にはおよそ60,000までに減ったとされる。
1958年(昭和23年)〜1959年(昭和24年)
大躍進政策
毛沢東
餓死者数は2000万〜5000万
多くは中国農民
杜撰な計画の元で行った農工業の大増産政策。ノルマの水増し報告をして、悪循環となり悲劇を生む。
1960年代後半〜1970年代前半
文化大革命
毛沢東と4人組
1000万人(一説には3000万人)
学者、医者、などの知識人等
共産党内部の権力闘争。広西省では、忠誠心を誇示するため、人肉を競って食肉しあい事件も起こる。文化財も多く破損
◆その他、昭和10年頃、広東でライ病患者50〜60名に対し、金品など金目の物を奪い、その後片っ端から銃殺など、小さな虐殺をあげたらきりが無い。
◆数字についてはかなりの諸説あるが、少なく見積もっても、この150年余りで、1億人以上、人口の1割以上が何らかの形で虐殺されている。
JJCSの光栄ある祖国の近代史 そして、この歴史は今も日々新たに書き換えられている。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/182843.html