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Re: 虐殺は日本のお家芸

投稿者: jpjptmd2004 投稿日時: 2010/04/10 12:55 投稿番号: [180857 / 196466]

ベトナム
占領下で200万人が餓死
日本軍が食料買い占め、備蓄


ハノイ市内の200万人餓死記念碑


  日本占領下のベトナムでは四四―四五年、中部クアンチ省から北部にかけて、当時の全国の人口の十分の一、北部の人口の四分の一にも相当する約二百万人が餓死したとされます。

  九二―九五年に日本の学者と共同で餓死の調査を行った歴史学者のバン・タオ教授は、「調査で、二百万人という数字が誇張でないことがよりはっきりした」と強調します。四五年当時、北部ハイズオン省で教師をしていた同教授は、「私の教え子の約半数が餓死した」と述懐します。

  日本は、ベトナムを含むインドシナを支配していたフランス植民地当局に圧力をかけ、四〇年九月二十二日に結んだ協定で、日本軍のベトナム北部駐留を認めさせ、翌日から駐留を強行しました(仏印進駐)。日本は、仏植民地機構を維持し、その上に君臨して支配しました。

  アジア太平洋戦争開始の翌日、四一年十二月九日に結ばれた日本・仏印協定で日本の支配がより強化され、フランス植民地機構は日本支配の下請けと化しました。さらに、四五年三月九日には、仏植民地機構を武力で解体して、日本の単独支配を敷きました(仏印処理)。



バン・タオ教授


  そうした状況で起きたのが、約二百万人の餓死という同国史上空前絶後の惨事でした。

  その原因にバン・タオ教授は次の四つを挙げます。(1)日本がフランス植民地機構を下請けにして、食料を安い価格で強制的に買い付けた(2)ジュートなど戦略物資を得るために稲作面積を減らした(3)北部で天候不順による凶作が起きた(4)豊作だった南部から米が北部に運ばれなかった。

  問題は、何が致命的原因になったかということです。バン・タオ教授は、凶作が不可避だったとしても他の原因がなければ、飢餓はずっと軽微ですんだはずだと指摘します。

  二〇〇一年十一月、ホーチミン市にある戦争証跡博物館などの主催で、ベトナムに対する戦争犯罪に関するシンポジウムが開かれました。そこに提出された報告は、北部の飢餓の最中にも、仏植民地当局がサイゴンに三十五万トン、チョロンに二十万トンのもみを、日本軍もサイゴンに二十万トンの米を備蓄していたと指摘しています。

  (ハノイ=北原俊文   写真も)
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