Re: 国技云々
投稿者: jpjptmd2004 投稿日時: 2010/02/05 13:35 投稿番号: [180037 / 196466]
>「正確」という形容詞は余計だが、朝青龍以外の幕内力士はみな「その心」を持っている。<<<
その心は、最初から余計だ。
幕内力士はみな「その心」も持つというのも、余計。
「心の定義」がなければ、判断基準もないということだ。
園芸のうんこチャンは、別世界から、
相撲の心を理解できるとは思えない。
持つとは、もってのほか。
あるというならば、連想の妄想といいようがない。
幕内力士はみな「その心」って、持ったとしても、メインの「技、体」を持たずにして、いくら、心を持っていると見せ付けても、力士としての資格はない。
ようは、うんこちゃんは、相撲の心を持っていると言っても、体もないと、力士の世界にも入れない。技がなければ、力士とはいえない。
技もなく体もなく、自分の思い込んだ心だけで、
相撲の世界を描き、期待している。
自分のイメージと違えば、パッサ、パッサする。
しかし、競技での順位付け、優勝するとスポーツの世界なのに、
たまたま、オプションとした、儀式を持たせるだけで、神事と思い込むだけで、国技と考えるのが可笑しい。
スポーツ競技に参加すれば、選手なら、競技の直前には、誰も祈りもする。
この祈りを、派手に演出してしまえば、神事だの、国技だのとね。
この心を演出して、目的は儲けようと、
金の木となる目玉という金玉を取り出したら、初心とした乞食の失敗である。
シンプルはベストである。相撲とりは単なる優先順位を決めて優勝を決める、日本の特有のスポーツである。
乞食なら乞食らしく、迷信の要素を入れるべきではない。
これは メッセージ 180032 (unhoo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/180037.html