★中国に朝貢した小沢氏★
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2009/12/22 00:17 投稿番号: [179638 / 196466]
◆「昇一塾」渡部昇一書下ろしニュースレター / 平成21年12月18日
★中国に朝貢した小沢氏★
12月10日から12日にかけて、民主党の小沢一郎幹事長を団長とする一団が
中国を訪問した。参加した民主党の国会議員140名以上、それに随行するあれや
これやで総勢600名、航空機5便に分乗するという大がかりな訪中団である。
一体、この大げさな訪中は何なのか。どう見てもこれは朝貢である、というほかはない。
朝貢とは東洋史において重要な概念である。古来、シナの王朝はその強大さを誇り、
周辺諸国を東夷・西戎・北荻・南蛮、一段格下の野蛮国とみなして臣従を求めた。
周辺国はシナに詣でて貢ぎ物を捧げる。これに対してシナの皇帝は貢ぎ物を捧げてきた
国の支配者に国王の称号を与え、貢ぎ物よりはるかに価値のある見返りを与えた。
これが朝貢である。
また朝貢は捧げた貢ぎ物以上の見返りがあるので、貿易の性格を持つものでもあった。
この朝貢によってシナの王朝が中央にそびえ立ち、周辺国が仰ぎ見るという東アジア
の国際政治秩序の構図である。これを華夷秩序という。
この朝貢の概念はアジア、特にシナに浸透し、いまもそれに続いていると言える。
この朝貢の構図を破り、シナと対等の立場に立ったのが日本である。
その最初の人物は聖徳太子であった。隋に対し、
「日出ずるところの天子、日没するところの天子に書を致す。恙(つつが)なきや」
という主旨の国書(もちろん漢文)を送ったのである。
これに隋の煬帝は激怒したと伝えられる。それはそうだろう。
自分は一人そそり立つ天子と心得ているところに、同じ天子を名乗り、
対等の態度を取る者が現れたのだから、青天の霹靂だったに違いない。
だが、聖徳太子以後、シナはもちろん、誇りを持ってどの国とも対等に交わっていく
というのは、日本の伝統的な対外姿勢となった。
もっとも、長い歴史の中にはこの伝統と反する者も現れる。
室町幕府の三代將軍、足利義満がそうである。室町幕府は経済基盤の弱い政権であった。
そのために義満は、明と朝貢貿易をしたのである。
そして王の位を永楽帝から贈られている。
日本国内では義満は將軍であっても国王ではない。
日本国王の名乗りは明との朝貢貿易のための便宜に過ぎなかった。
幸いに日本では「王」より「親王」の位が高く、その上に天皇がおられる。
ところが、現代の日本に朝貢者が現れたのである。宮沢喜一元首相である。
天安門事件で中国は国際的な非難を浴び、孤立の危機に立たされた。
この打開のために中国は日本に天皇皇后両陛下の訪中を求めた。
天皇皇后両陛下をお招きすることによって、厳しい国際世論を和らげ、
突破することを狙ったのである。宮沢首相は一も二もなく拒否すべきであった。
天皇陛下を国際政治的に利用したのだ。
両陛下のご訪中となれば、中国側はこれを朝貢と見なし、そのように喧伝することは
火を見るよりも明らかだったからである。だが、いかなる思惑があったのか、
宮沢首相はこれを受け入れた。こうして天皇皇后両陛下の訪中は実現してしまった。
つづく
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★中国に朝貢した小沢氏★
12月10日から12日にかけて、民主党の小沢一郎幹事長を団長とする一団が
中国を訪問した。参加した民主党の国会議員140名以上、それに随行するあれや
これやで総勢600名、航空機5便に分乗するという大がかりな訪中団である。
一体、この大げさな訪中は何なのか。どう見てもこれは朝貢である、というほかはない。
朝貢とは東洋史において重要な概念である。古来、シナの王朝はその強大さを誇り、
周辺諸国を東夷・西戎・北荻・南蛮、一段格下の野蛮国とみなして臣従を求めた。
周辺国はシナに詣でて貢ぎ物を捧げる。これに対してシナの皇帝は貢ぎ物を捧げてきた
国の支配者に国王の称号を与え、貢ぎ物よりはるかに価値のある見返りを与えた。
これが朝貢である。
また朝貢は捧げた貢ぎ物以上の見返りがあるので、貿易の性格を持つものでもあった。
この朝貢によってシナの王朝が中央にそびえ立ち、周辺国が仰ぎ見るという東アジア
の国際政治秩序の構図である。これを華夷秩序という。
この朝貢の概念はアジア、特にシナに浸透し、いまもそれに続いていると言える。
この朝貢の構図を破り、シナと対等の立場に立ったのが日本である。
その最初の人物は聖徳太子であった。隋に対し、
「日出ずるところの天子、日没するところの天子に書を致す。恙(つつが)なきや」
という主旨の国書(もちろん漢文)を送ったのである。
これに隋の煬帝は激怒したと伝えられる。それはそうだろう。
自分は一人そそり立つ天子と心得ているところに、同じ天子を名乗り、
対等の態度を取る者が現れたのだから、青天の霹靂だったに違いない。
だが、聖徳太子以後、シナはもちろん、誇りを持ってどの国とも対等に交わっていく
というのは、日本の伝統的な対外姿勢となった。
もっとも、長い歴史の中にはこの伝統と反する者も現れる。
室町幕府の三代將軍、足利義満がそうである。室町幕府は経済基盤の弱い政権であった。
そのために義満は、明と朝貢貿易をしたのである。
そして王の位を永楽帝から贈られている。
日本国内では義満は將軍であっても国王ではない。
日本国王の名乗りは明との朝貢貿易のための便宜に過ぎなかった。
幸いに日本では「王」より「親王」の位が高く、その上に天皇がおられる。
ところが、現代の日本に朝貢者が現れたのである。宮沢喜一元首相である。
天安門事件で中国は国際的な非難を浴び、孤立の危機に立たされた。
この打開のために中国は日本に天皇皇后両陛下の訪中を求めた。
天皇皇后両陛下をお招きすることによって、厳しい国際世論を和らげ、
突破することを狙ったのである。宮沢首相は一も二もなく拒否すべきであった。
天皇陛下を国際政治的に利用したのだ。
両陛下のご訪中となれば、中国側はこれを朝貢と見なし、そのように喧伝することは
火を見るよりも明らかだったからである。だが、いかなる思惑があったのか、
宮沢首相はこれを受け入れた。こうして天皇皇后両陛下の訪中は実現してしまった。
つづく
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