Re: 英語の必修科目廃止しる。
投稿者: noga13391jp 投稿日時: 2009/09/30 22:26 投稿番号: [178702 / 196466]
sintyou7さん、今日は。
> 現在の日本の英語教育は、全く役に立っていない。無駄である。
> 高校、大学受験の為の、なぞなぞ程度の意味しかなさない。本当に英語を学びたければ、外国へ住むに限る。
英文和訳は、学問には向かない。時制のある英語の内容を時制のない日本語に訳せば、当然のことながら、意味のないものになる。
現実と考え (非現実) を区別することなく主張すれば、空理空論となる。未来時制の内容は、この世の嘘・偽りとなる。
未来時制の内容は、個人個人で違う。だから、その個人的な違いを基にして議論ができる。
現実構文・現在時制の内容ばかりでは、誰もが一致する。一致しなければ、事実関係調べとなる。
丸暗記と受け売りは子供の勉強である。
大人の勉強は、過去時制と未来時制の空白の世界を自分自身で満たしてゆくことである。
これは、哲学である。自分自身で考えることである。
だがしかし、日本語脳には、事実 (現実) と考え (非現実: 遠い未来) の内容を分けて保持する能力がない。
日本語で話す英米流高等教育はなりたたない。
せっかく教育制度を作っても、無哲学・能天気の人たちには、高等教育機関で教える内容がない。
これは、英米の大学が哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph. D.) の牙城をなしているのと対照的である。
大学人は空理空論を語るしかないので、日本の大学は学歴があって教養がない曲学阿世の輩を増やす結果になっている。
このような議論は、ああいえばこういうといった不毛の議論となって、誰もが望まないものとなる。
「議論をすれば、喧嘩になります」という。
こうした特殊能力が得られたのも、我が国の高等教育のおかげであると得意になっている人もいるかもしれない。
我が国に活用されているのは、実社会の中の実学 (技術) 教育ばかりである。
だから、英米流の高等教育が機能しないにもかかわらず、我が国の職人は世界一優秀である。
このような事情により、我が国は精神年齢12歳の大人の住む国となっている。
日本人には、世界観がない。世の中の良し悪しを見極める基準となるものがない。
だから、議論も出来なければ、団結もできない。無論、信頼も得られない。
日本人には現実を批判できない。ただ、恨み節がある。耐え難きを耐え忍び難きを忍んで努力している。
気真面目でおとなしい日本人が、にたにた笑っている英米人にいかにして付き合ってゆくかが国際社会における我が国の課題である。
一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。
大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生に対して、「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。
国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しい。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。英語を実用の言語とすることが大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。
英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
> 現在の日本の英語教育は、全く役に立っていない。無駄である。
> 高校、大学受験の為の、なぞなぞ程度の意味しかなさない。本当に英語を学びたければ、外国へ住むに限る。
英文和訳は、学問には向かない。時制のある英語の内容を時制のない日本語に訳せば、当然のことながら、意味のないものになる。
現実と考え (非現実) を区別することなく主張すれば、空理空論となる。未来時制の内容は、この世の嘘・偽りとなる。
未来時制の内容は、個人個人で違う。だから、その個人的な違いを基にして議論ができる。
現実構文・現在時制の内容ばかりでは、誰もが一致する。一致しなければ、事実関係調べとなる。
丸暗記と受け売りは子供の勉強である。
大人の勉強は、過去時制と未来時制の空白の世界を自分自身で満たしてゆくことである。
これは、哲学である。自分自身で考えることである。
だがしかし、日本語脳には、事実 (現実) と考え (非現実: 遠い未来) の内容を分けて保持する能力がない。
日本語で話す英米流高等教育はなりたたない。
せっかく教育制度を作っても、無哲学・能天気の人たちには、高等教育機関で教える内容がない。
これは、英米の大学が哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph. D.) の牙城をなしているのと対照的である。
大学人は空理空論を語るしかないので、日本の大学は学歴があって教養がない曲学阿世の輩を増やす結果になっている。
このような議論は、ああいえばこういうといった不毛の議論となって、誰もが望まないものとなる。
「議論をすれば、喧嘩になります」という。
こうした特殊能力が得られたのも、我が国の高等教育のおかげであると得意になっている人もいるかもしれない。
我が国に活用されているのは、実社会の中の実学 (技術) 教育ばかりである。
だから、英米流の高等教育が機能しないにもかかわらず、我が国の職人は世界一優秀である。
このような事情により、我が国は精神年齢12歳の大人の住む国となっている。
日本人には、世界観がない。世の中の良し悪しを見極める基準となるものがない。
だから、議論も出来なければ、団結もできない。無論、信頼も得られない。
日本人には現実を批判できない。ただ、恨み節がある。耐え難きを耐え忍び難きを忍んで努力している。
気真面目でおとなしい日本人が、にたにた笑っている英米人にいかにして付き合ってゆくかが国際社会における我が国の課題である。
一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。
大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生に対して、「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。
国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しい。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。英語を実用の言語とすることが大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。
英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
これは メッセージ 178682 (sintyou7 さん)への返信です.
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