日中関係

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Re: 南京物語

投稿者: asia1867 投稿日時: 2009/09/07 22:47 投稿番号: [178148 / 196466]
満州権益の変遷について、理解できたかな。

>これはお前さんの勉強不足だ。
>ソ連は日本から手渡された設備を本国に送り、残りはほとんど破壊した。

ソ連が、接収した設備を中共に引き渡した例

「旅大中共はソ連軍当局から受領した大連化学工場,大連鉄鋼工場などの大型工場をもとに, 「建新公司」という大規模な兵器製造工場を立ち上げた」

放送局接収の例
  大連、1945年12月、中共は大連市政府の名義でソ連の軍事管制下にあった放送局を接収した。日本人局員に対しては、日本語のできる白全武が本国へ送還されるまでの問協力するよう要請した。
  大連中央放送局最後の日本人局長広瀬登は、放送局の設備や財産などを調査し1冊に纏め、12月19日正式に引き渡した。
  中共が接収した後も中国人技術者が不足していたため、技術部門はほとんど全員が留用した日本人であった。これらの留用人員に対しては一律に元の職、元の給料を保証し、例えば元技術科長はそのまま留任された。

ハルビン
  1945年8月18日、ソ連軍ともに劉亜楼が進駐し、中共を代表し満洲国の「恰爾濱中央放送局」を接収した。このハルビン放送局は、中共にとって記念すべき初の地方放送局となった。ハルビン放送局では、ソ連軍少佐が局長となり、趙乃喬が副局長を担任した。lkw、3kw、250wの3台の放送機を所有していたが、最も性能のよい3kwの放送機はソ連が航空管制に利用し、中共はlkwの方を使用していた。残りの250wの放送機はモスクワの放送を中継していた。
  1946年4月23日、ソ連軍は撤退を開始し、3kwの放送機も戦利品として本国へと持ち帰った。1946年月に国民党が東北の藩陽や長春などを占領すると、中共
の各放送局は、国民党の手に渡らないよう器機を保持しつつ後方へと撤退していった。ハルビン放送局も5月28日に東北局の決定により佳木斯へ退き、そこで東北新華放送局(以下、東北放送局と略)を設立した。

  中共は、日本人技術者を佳木斯へと強制的に派遣したと云う。

  満州の設備資本は、ソ連が本国に持ち帰った分もあるが、国民党の手に渡らないように中共が破壊した分もあった。

  満鉄撫順石炭液化工場を破壊した支那人は、どの勢力だったのやら。
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