馬鹿奥様へ貴重な知識を、
投稿者: sintyou7 投稿日時: 2009/07/11 16:03 投稿番号: [177356 / 196466]
お教えあげてつかりましょう。よく勉強ちなさい。
同化政策の先達を復習しなたい。
<<<<<<霧社事件>>>>>>>
霧社事件(むしゃじけん)は、1930年10月27日に台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起こった台湾原住民による最大にして最後の抗日蜂起事件。
背景として、日本の警察官(当時2名のタイヤル族警察官がいたほかは全て日本人警察官)が、地元のタイヤル族住民に対し固有の文化を無視した生活指導を行ったこと、材木を担いで運ばせるなど重い労務を課したこと、商取引の利益を中間搾取していたことなどが指摘されている。
蜂起の直接の原因といわれているのが、1930年10月7日に吉村克己巡査が原住民の若者を殴打した事件である。その日、吉村巡査は同僚を伴って移動中に、村で行われていた結婚式の酒宴の場を通りかかった。宴に招き入れようとモーナ・ルダオ(タイヤル族の村落の一つマヘボ社のリーダー)の息子、タダオ・モーナが吉村巡査の手を取ったところ、巡査は「其ノ不潔ナル宴席ヲ嫌ヒ拒絶セントシテ握ラレタル手ヲ払ヒタル拍子」にステッキで若者を2度殴打したという。
侮辱を受けたと感じた原住民たちは吉村巡査を集団で殴打した(当時の警察側の公文書より)。 この殴打事件について警察からの報復をおそれた人々が、先手を打って蜂起したのだと言われている。
経緯
仁愛郷公所10月27日、タイヤル族のリーダーの一人モーナ・ルダオを中心とした6つの蕃社(村)1200人ほどが、霧社公学校の運動会を襲撃した。襲撃では日本人のみが狙われ、約140人が殺害された。(なお、現地の警察にはタイヤル族出身の警察官が2名いたが、彼らは襲撃には参加せずそれぞれ自決した。)
軍や警察は蜂起に参加した村々へ鎮圧を開始した。山中に立てこもるタイヤル族に対し、火器・航空機・催涙性ガス弾などの近代兵器を用いて攻撃、親日派タイヤル族(「味方蕃」と呼ばれる)を戦闘員として動員した。味方蕃の戦闘員たちに対しては敵蕃の首級と引き換えに懸賞金が支給された。
この措置は理蕃政策によって禁じられてきた出草の風習を一時的に開放したような効果をもたらし、同族間での凄惨な殺し合いを助長したとされる。
作戦の結果、700人ほどの抗日タイヤル族が死亡もしくは自殺、500人ほどが投降した。
1931年1月、台湾総督石塚英蔵、総務長官人見次郎、警務局長石井保、台中州知事水越幸一が引責辞任した。
1931年4月25日、投降し収容された生存者を親日派タイヤル族が襲撃し、多数が殺され、生存者は300人ほどとなった(第二霧社事件)。
襲撃した親日派タイヤル族に犠牲者はいなかった。日本側が画策した事件とされている。
1931年5月6日、最終的に生き残った人々は濁水渓中流域の川中島(現在の清流)と呼ばれる地域に強制移住させられた。ここで生存者らは警察からの厳しい監視と指導のもとに生活した。
その後も事件参加者への警察の摘発は続き、連行されたまま行方不明になった人々も多いとされている。
日本による統治終了後、霧社にある仁愛郷公所(地方自治体の役所)の敷地から手足を針金で縛られた白骨遺体多数が出土した。
現地では警察に連行された蜂起の参加者の亡骸と信じられている。>>
どーしてこの馬鹿奥様は、これ程、無知で脳足リンなのであろーか?
救い難いでつね。典型的B層でつ。タダの鵜呑みだけだろ、アホ。
デモするのは勝手だが、人を殺したら、殺人集団として武力鎮圧されるのは当たり前だろーが。何の為に、警官は銃を持っているのだ?
ボケ。
。
同化政策の先達を復習しなたい。
<<<<<<霧社事件>>>>>>>
霧社事件(むしゃじけん)は、1930年10月27日に台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起こった台湾原住民による最大にして最後の抗日蜂起事件。
背景として、日本の警察官(当時2名のタイヤル族警察官がいたほかは全て日本人警察官)が、地元のタイヤル族住民に対し固有の文化を無視した生活指導を行ったこと、材木を担いで運ばせるなど重い労務を課したこと、商取引の利益を中間搾取していたことなどが指摘されている。
蜂起の直接の原因といわれているのが、1930年10月7日に吉村克己巡査が原住民の若者を殴打した事件である。その日、吉村巡査は同僚を伴って移動中に、村で行われていた結婚式の酒宴の場を通りかかった。宴に招き入れようとモーナ・ルダオ(タイヤル族の村落の一つマヘボ社のリーダー)の息子、タダオ・モーナが吉村巡査の手を取ったところ、巡査は「其ノ不潔ナル宴席ヲ嫌ヒ拒絶セントシテ握ラレタル手ヲ払ヒタル拍子」にステッキで若者を2度殴打したという。
侮辱を受けたと感じた原住民たちは吉村巡査を集団で殴打した(当時の警察側の公文書より)。 この殴打事件について警察からの報復をおそれた人々が、先手を打って蜂起したのだと言われている。
経緯
仁愛郷公所10月27日、タイヤル族のリーダーの一人モーナ・ルダオを中心とした6つの蕃社(村)1200人ほどが、霧社公学校の運動会を襲撃した。襲撃では日本人のみが狙われ、約140人が殺害された。(なお、現地の警察にはタイヤル族出身の警察官が2名いたが、彼らは襲撃には参加せずそれぞれ自決した。)
軍や警察は蜂起に参加した村々へ鎮圧を開始した。山中に立てこもるタイヤル族に対し、火器・航空機・催涙性ガス弾などの近代兵器を用いて攻撃、親日派タイヤル族(「味方蕃」と呼ばれる)を戦闘員として動員した。味方蕃の戦闘員たちに対しては敵蕃の首級と引き換えに懸賞金が支給された。
この措置は理蕃政策によって禁じられてきた出草の風習を一時的に開放したような効果をもたらし、同族間での凄惨な殺し合いを助長したとされる。
作戦の結果、700人ほどの抗日タイヤル族が死亡もしくは自殺、500人ほどが投降した。
1931年1月、台湾総督石塚英蔵、総務長官人見次郎、警務局長石井保、台中州知事水越幸一が引責辞任した。
1931年4月25日、投降し収容された生存者を親日派タイヤル族が襲撃し、多数が殺され、生存者は300人ほどとなった(第二霧社事件)。
襲撃した親日派タイヤル族に犠牲者はいなかった。日本側が画策した事件とされている。
1931年5月6日、最終的に生き残った人々は濁水渓中流域の川中島(現在の清流)と呼ばれる地域に強制移住させられた。ここで生存者らは警察からの厳しい監視と指導のもとに生活した。
その後も事件参加者への警察の摘発は続き、連行されたまま行方不明になった人々も多いとされている。
日本による統治終了後、霧社にある仁愛郷公所(地方自治体の役所)の敷地から手足を針金で縛られた白骨遺体多数が出土した。
現地では警察に連行された蜂起の参加者の亡骸と信じられている。>>
どーしてこの馬鹿奥様は、これ程、無知で脳足リンなのであろーか?
救い難いでつね。典型的B層でつ。タダの鵜呑みだけだろ、アホ。
デモするのは勝手だが、人を殺したら、殺人集団として武力鎮圧されるのは当たり前だろーが。何の為に、警官は銃を持っているのだ?
ボケ。
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これは メッセージ 177355 (run_run72 さん)への返信です.
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