相手しくれて、蟻が糖。
投稿者: sintyou7 投稿日時: 2009/06/20 00:07 投稿番号: [177197 / 196466]
>源氏が、平家を追討した、瀬戸内海の戦いで、、、平家が、もしも、源氏が天下をつる木があるならば、、弓矢で、この扇子を、飛ばして落としてみろ!
の、その、扇子は、日の丸のデザインだ!>>
↑
わははははああ
平家は、赤字に白だったが?
そもそも、平安時代に、国家国旗の概念があったのか?
そもそも国旗を日の丸として定めたのはいつごろかと言うと、太陽をかたどったデザインで日章旗とも呼ば日る「日の丸」は、1853年のペリー来航後に対外関係上から国旗の制定が必要となり、江戸幕府が薩摩藩主島津斉彬の考案に基づいて採用した。
正式に日の丸が日本国を表す旗となったのは1870年1月27日付の太政官布告第57号商船規則からだが、それ以前からも使われており、12世紀末の源平合戦の時代には日の丸の扇が流行し、家紋や馬印にされている。14世紀初頭の後醍醐天皇のころにも旗印とされ、16世紀半ばの川中島の合戦では武田信玄、上杉謙信の両軍とも日の丸の旗を高々と掲げて対陣した。ちなみに、軍艦用の国旗は商船用とは別に1870年10月3日付の太政官布告651号による「海軍御旗章国旗章並諸旗章」で規定されており、商船用とは若干寸法に違いがある>>
だから、日の丸は
”薩摩藩主、島津斉彬の考案に基づいて採用した。”
のだよ。
江戸幕府時代、日の丸らしき文様は何処にも認められない。
徳川紋章以外に、何かあったのあねぇ。
平安時代のかな文字と、古日本語と共に、南に追いやられたのだよ。
。
これは メッセージ 177193 (tidori13tiko13 さん)への返信です.
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