すごいすごい・・・のお話
投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2008/09/27 21:04 投稿番号: [173027 / 196466]
kitaguninosaruさんのお言葉・・
>ニーハオさんの経歴なら、どこかの日本語科の1日だけの先生でもやってみてください。
その前に昔の中国で感じた『優越感』をまず捨ててくださいね。。。<
「優越感」は誰にもあります。確かにあります。
中国に対する優越感とはどんなものか? それを知りたいなら日本人に訊ねるしかありません。
その意味で、当時、日本人が余儀なく感じた「優越感」は、これまた貴重な体験なのです。
「優越感」を否定しようとする感情は、私に言わせるなら、これこそが相手を見くびる偽善でありましょう。
私などは文化大革命の、あの時代から中国を眺めています。
文革が終焉し、その後、中国が改革開放で発展してゆく姿を、ず〜っと今日(こんにち)まで、この目で見続けています。
さて、その間の私の気持ちはどんなものだったか?
正直に申せば、腹立たしく、怒りに満ちておりました。今もそうかも知れない。
中国の人は、どの様に感じていたでしょうか? あの当時を思い出してみてください。
革命の時代、中国人は誰もが同じような生活をしていました。
だが、世の中が変わって人々の生活が多様になりました。
例えば、女性は色のある、模様のある衣服を着るようになり、スカートを穿(は)くようになり、やがて、美容院ができて女性もパーマをかけるようになりました。
若者はディスコで踊るようになり、「カラOK」で歌うようになった。
高速道路ができた。高層ビルが建った。
中国の変貌する模様を、日本のメディアは面白おかしく報道し、
「お〜、中国女性もお化粧するようになったか、お〜、中国人もディスコで踊るようになったか。中国人もロック音楽を聴くようになったか? 中国の街にスーパマーケットができた。お〜、すごいすごい、だいぶ日本に近づいたな〜・・」・・ってな感じだった。
私などは、そんな報道が大嫌いで、心の中で常に反駁していた。
「そんなもの、何でもないだろう。それの何処がすごいのだ。何が面白いか・・そんなこと、殊更に喜ぶなよ。」
中国人の生活が発展して変貌する様子は、確かに興味深いことではあったが、その変化を眺めて「お〜、すごいすごい」とは言いたくなかった。
ディスコ、カラOK、高速道路、女性のパーマ・・・中国語で言う「新鮮事物」が日本において「お〜、すごいすごい」のものならば、私だって躊躇(ためら)いなく「すごいすごい」と言っただろうが、そんなもの、日本でなら何も特別なことはなく、誰も「すごいすごい」とは思わない。
赤ちゃんがハイハイできるようになり、やがて坐れるようになり、立って歩けるようになる。
親ならば「お〜、すごいすごい」と大喜びだろうが、もし、中国に対してそれを言うなら、それは中国がまだ赤ちゃんと云うことに他ならないのだ。
中国が赤ちゃんとは思いたくなかったから、本当の意味での「すごいすごい」が出てくるまで、私は中国の何物も「すごいすごい」と賞賛したくはない。
本当の「すごいすごい」とは何か?
中国にしかないもの。中国人にしかできないもの。・・・中国オリジナル
これまで、私が中国を「すごいすごい」と賞賛したことはなかったけれど、
中国に本物の「すごいすごい」が出現するのを、私は楽しみに待っている。
>ニーハオさんの経歴なら、どこかの日本語科の1日だけの先生でもやってみてください。
その前に昔の中国で感じた『優越感』をまず捨ててくださいね。。。<
「優越感」は誰にもあります。確かにあります。
中国に対する優越感とはどんなものか? それを知りたいなら日本人に訊ねるしかありません。
その意味で、当時、日本人が余儀なく感じた「優越感」は、これまた貴重な体験なのです。
「優越感」を否定しようとする感情は、私に言わせるなら、これこそが相手を見くびる偽善でありましょう。
私などは文化大革命の、あの時代から中国を眺めています。
文革が終焉し、その後、中国が改革開放で発展してゆく姿を、ず〜っと今日(こんにち)まで、この目で見続けています。
さて、その間の私の気持ちはどんなものだったか?
正直に申せば、腹立たしく、怒りに満ちておりました。今もそうかも知れない。
中国の人は、どの様に感じていたでしょうか? あの当時を思い出してみてください。
革命の時代、中国人は誰もが同じような生活をしていました。
だが、世の中が変わって人々の生活が多様になりました。
例えば、女性は色のある、模様のある衣服を着るようになり、スカートを穿(は)くようになり、やがて、美容院ができて女性もパーマをかけるようになりました。
若者はディスコで踊るようになり、「カラOK」で歌うようになった。
高速道路ができた。高層ビルが建った。
中国の変貌する模様を、日本のメディアは面白おかしく報道し、
「お〜、中国女性もお化粧するようになったか、お〜、中国人もディスコで踊るようになったか。中国人もロック音楽を聴くようになったか? 中国の街にスーパマーケットができた。お〜、すごいすごい、だいぶ日本に近づいたな〜・・」・・ってな感じだった。
私などは、そんな報道が大嫌いで、心の中で常に反駁していた。
「そんなもの、何でもないだろう。それの何処がすごいのだ。何が面白いか・・そんなこと、殊更に喜ぶなよ。」
中国人の生活が発展して変貌する様子は、確かに興味深いことではあったが、その変化を眺めて「お〜、すごいすごい」とは言いたくなかった。
ディスコ、カラOK、高速道路、女性のパーマ・・・中国語で言う「新鮮事物」が日本において「お〜、すごいすごい」のものならば、私だって躊躇(ためら)いなく「すごいすごい」と言っただろうが、そんなもの、日本でなら何も特別なことはなく、誰も「すごいすごい」とは思わない。
赤ちゃんがハイハイできるようになり、やがて坐れるようになり、立って歩けるようになる。
親ならば「お〜、すごいすごい」と大喜びだろうが、もし、中国に対してそれを言うなら、それは中国がまだ赤ちゃんと云うことに他ならないのだ。
中国が赤ちゃんとは思いたくなかったから、本当の意味での「すごいすごい」が出てくるまで、私は中国の何物も「すごいすごい」と賞賛したくはない。
本当の「すごいすごい」とは何か?
中国にしかないもの。中国人にしかできないもの。・・・中国オリジナル
これまで、私が中国を「すごいすごい」と賞賛したことはなかったけれど、
中国に本物の「すごいすごい」が出現するのを、私は楽しみに待っている。
これは メッセージ 172841 (kitaguninosaru1 さん)への返信です.
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