Re: 本物は・・
投稿者: xiaorenfanshi 投稿日時: 2008/09/18 14:53 投稿番号: [172221 / 196466]
「神格化」のお話も読ませていただきました。
nihao_aq_jp さんはやはり自国日本の事がよく解っておられる方ですね。自国の事だからこそ、案外に解りづらいものは多々ありますが。
なのに、
>これを数式にして表現するなら、
「文学」−「文学」=0(無)・・ということ。<
これは何でしょうね?日本の文学も文学ですから、見下してはいけません。0(無)になる筈はありません。日本の文学も文化も数式にして表現するなら、
「文学」−「文学」=宗教・・なのでしょう。あえて「日本教」或いは「和教(倭教)」とでも言いましょうか。
この「和教」というのは本当に世界最も強固な宗教です。なぜかと言いますと、その信徒の日本人自身すら自覚し得ないほどに完全に浸透しきっているからです。
「中国の場合、
「文学」−「文学」=政治・・なのであり、」については、私は同意します。
私たち中国人は、どこの誰が書いたどんな文でも、一つの立場があることは知っています。孔子は上の統治者のために知恵を出しているとか、老子は少し立場が違って草根階級視線だとか、「西遊記」「三国演義」「金瓶梅」「紅楼夢」など、当時から言うと反社会秩序的な作品は、実は庶民の読みものというより、上の階級に隠れて読まれていたことを知り、その背景に何があるかと、中国人は探りたくなるのです。
どんな作品でも、その作品を書く人の位置や立場があって、読む人は、その作品の内容と作者の立場の双方を知って、初めてその作品について各々の理解や判断が出来るわけです。
しかし、日本の文学作品になると、外国人で日本語は堪能で、相当に日本の事が解っているつもりの人間にとっても、一種の謎です。誰が何のため?の物が多く、全く理解に絶してくるんです。
当たり前の事です。宗教ですから、異邦人(この場合は異教徒でもある)はその聖域に近寄る事は許されない事であり、至難の事です。
日本人がよく口にする「人間性」「人間味」「人間らしい」「人間的」「非人間的」など人間に関する言葉や「こころ」(和心や唐心など分けのわからない言い方もあるが)などは、正に日本人が信じている「宗教」の宗規です。つまり、「人間(日本人)とはこうあるべき者だ」と規定している宗規です。
この宗教があるがために、日本人は生まれてから神社へ「お宮参り」に行き、結婚は「キリスト教会」で行い、そして死んだら「仏」になるのを信じても、何の不自然も矛盾も感じないのです。
この宗教があるがために、朝鮮から連れてこられた人たちはたとえ何世代日本で過ごして来られてきても、日本人とは認められずに外人として処遇されていくでしょう。
また、この宗教があるがために、「お前は日本人じゃない!」とは、信徒の日本人にとって、それは最大の、且つ最悪の呪いでしょう。そのパワーというのは西洋人の「Jesus ××××Christ!」や、中国人の「お前の先祖八代を遡って×××やる」とは匹敵するものでしょう。この掲示板もその通りに展開しています。
ですが、今は全球化(グロバール)の時代です。そして、チンギスハンのモンゴル軍が日本上陸を失敗しましたが、アメリカ軍の日本上陸は既に何十年も経ちました。「和教」については何時までも無自覚で良し、というような事は永遠にも出来る事なんでしょうか。
「時が滲む朝」の受賞理由は聞きたいものです。
>昔もそう、今もそう。
文学などは政治に奉仕する「奴隷」に他なりません。
これは中国が日本などに及ばぬ一面です。<
宗教ほど強い政治道具はありません。中国は日本には及びません。
しかし、「奴隷」とかはかつて日本には存在しなかったもので、日本人には理解しがたいものです。安易に使うと、この掲示板での交流もうまく進めません。かつてヨーロッパでは奴隷だった人たちは市民になって、この世界はたちまちその人たちの支配下に変わったことは知りませんか。
「馬鹿」「阿呆」の意味での使い方なら別ですが
nihao_aq_jp さんはやはり自国日本の事がよく解っておられる方ですね。自国の事だからこそ、案外に解りづらいものは多々ありますが。
なのに、
>これを数式にして表現するなら、
「文学」−「文学」=0(無)・・ということ。<
これは何でしょうね?日本の文学も文学ですから、見下してはいけません。0(無)になる筈はありません。日本の文学も文化も数式にして表現するなら、
「文学」−「文学」=宗教・・なのでしょう。あえて「日本教」或いは「和教(倭教)」とでも言いましょうか。
この「和教」というのは本当に世界最も強固な宗教です。なぜかと言いますと、その信徒の日本人自身すら自覚し得ないほどに完全に浸透しきっているからです。
「中国の場合、
「文学」−「文学」=政治・・なのであり、」については、私は同意します。
私たち中国人は、どこの誰が書いたどんな文でも、一つの立場があることは知っています。孔子は上の統治者のために知恵を出しているとか、老子は少し立場が違って草根階級視線だとか、「西遊記」「三国演義」「金瓶梅」「紅楼夢」など、当時から言うと反社会秩序的な作品は、実は庶民の読みものというより、上の階級に隠れて読まれていたことを知り、その背景に何があるかと、中国人は探りたくなるのです。
どんな作品でも、その作品を書く人の位置や立場があって、読む人は、その作品の内容と作者の立場の双方を知って、初めてその作品について各々の理解や判断が出来るわけです。
しかし、日本の文学作品になると、外国人で日本語は堪能で、相当に日本の事が解っているつもりの人間にとっても、一種の謎です。誰が何のため?の物が多く、全く理解に絶してくるんです。
当たり前の事です。宗教ですから、異邦人(この場合は異教徒でもある)はその聖域に近寄る事は許されない事であり、至難の事です。
日本人がよく口にする「人間性」「人間味」「人間らしい」「人間的」「非人間的」など人間に関する言葉や「こころ」(和心や唐心など分けのわからない言い方もあるが)などは、正に日本人が信じている「宗教」の宗規です。つまり、「人間(日本人)とはこうあるべき者だ」と規定している宗規です。
この宗教があるがために、日本人は生まれてから神社へ「お宮参り」に行き、結婚は「キリスト教会」で行い、そして死んだら「仏」になるのを信じても、何の不自然も矛盾も感じないのです。
この宗教があるがために、朝鮮から連れてこられた人たちはたとえ何世代日本で過ごして来られてきても、日本人とは認められずに外人として処遇されていくでしょう。
また、この宗教があるがために、「お前は日本人じゃない!」とは、信徒の日本人にとって、それは最大の、且つ最悪の呪いでしょう。そのパワーというのは西洋人の「Jesus ××××Christ!」や、中国人の「お前の先祖八代を遡って×××やる」とは匹敵するものでしょう。この掲示板もその通りに展開しています。
ですが、今は全球化(グロバール)の時代です。そして、チンギスハンのモンゴル軍が日本上陸を失敗しましたが、アメリカ軍の日本上陸は既に何十年も経ちました。「和教」については何時までも無自覚で良し、というような事は永遠にも出来る事なんでしょうか。
「時が滲む朝」の受賞理由は聞きたいものです。
>昔もそう、今もそう。
文学などは政治に奉仕する「奴隷」に他なりません。
これは中国が日本などに及ばぬ一面です。<
宗教ほど強い政治道具はありません。中国は日本には及びません。
しかし、「奴隷」とかはかつて日本には存在しなかったもので、日本人には理解しがたいものです。安易に使うと、この掲示板での交流もうまく進めません。かつてヨーロッパでは奴隷だった人たちは市民になって、この世界はたちまちその人たちの支配下に変わったことは知りませんか。
「馬鹿」「阿呆」の意味での使い方なら別ですが
これは メッセージ 172101 (nihao_aq_jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/172221.html