お話・・ぺらぺら
投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2008/09/06 04:32 投稿番号: [171118 / 196466]
昔、十数年ぐらい以前、日本の芸能界では日本語ペラペラの外人タレントが数多く登場し、タケシやタモリの番組に出演していた。
デーブ・スペクターとかサンコンとか・・
先頃、中国のテレビを観ていたら、あちらでも中国語ペラペラの外人タレントが活躍していている。
中国のCCTVだったか、香港の鳳凰(フェニックス)だったか、そんな中国語ペラペラの外人(西欧人)がトーク番組に出演していた。
彼の中国でのニックネームは「曹操」とか言っていた。
その「曹操」君、中国人にも負けず劣らず、流暢な中国語を操り、軽妙に語る。
彼は一体どうやって練習したんだろう? 或いは中国生まれの中国育ちなのか?・・とか、私もほとほと感心して、興味を覚えた。
流暢な中国語を巧みに操り、自分の番組を1つ持っているぐらいだから、その実力たるや大したものだ・・と思っていたのに・・・。
そのトーク番組の中で、司会者が彼に小さなパネルを1枚手渡し、そこに何か文字を書く場面があった。
彼は困惑してしまい、「※音(ピンイン)でもいいですか・・?」と司会者にたずねた。
※・・手偏に并
つまり、「ローマ字で書いてもいいですか?」と訊いたのだ。
司会者は「書けない字があれば※音でも・・」と答え・・
そして、「曹操」君は、そのパネルに「毛沢東」と書いたのだ。
その「毛」の字を見て、ボクは驚き、笑ってしまった。
その字を見たら、誰でも笑う。
「曹操」君が書いた「毛」の字、
その最後の一画が「┗」ではなく、左方向にはねて「┛」形になっていたのだ。
中国テレビで自分の番組を持つぐらい、中国語ペラペラの「曹操」君なのに、実は、彼は漢字が書けない。書けないなら、多分読めない。
恐らく、新聞も雑誌も読めないだろう・・と云うことが分かってしまった。
「曹操」君の中国語とは、こんなものだったのか・・と思って、私はその意外さに驚いたのだ。
それに引き比べ、私はどうだろう。日本人は本当にスゴイと思った。
私が学生の時分、漢文の授業で何を読んでいたか。
そう、「周禮」を読んでいたのだ。
その年、授業では「周禮」の「春官・大宗伯」から読み始め、1年以上続いた。
読むのはもちろん「周禮注疏」。鄭元の注、賈公彦の疏をすべて丁寧に読んでゆく。
大漢和辞典を机の左右にずらりと並べ、時に春秋左氏伝、詩経を開いて引用の文章の出処をさがす。
それはそれは、気の遠くなるような、同時に夢のような日々だった。
古典の文章・・今でも決してスラスラとは読めないし、ペラペラ流暢でもないけれど、辞書があれば必ず正しく解釈できる・・と云う自信はある。
漢字の「毛」の字を、正しく「毛」と書けるだけでも、それは毛、すばらしいことなのだ。
日本人は、ある意味、中国人以上の中国人なんだと確信する。
デーブ・スペクターとかサンコンとか・・
先頃、中国のテレビを観ていたら、あちらでも中国語ペラペラの外人タレントが活躍していている。
中国のCCTVだったか、香港の鳳凰(フェニックス)だったか、そんな中国語ペラペラの外人(西欧人)がトーク番組に出演していた。
彼の中国でのニックネームは「曹操」とか言っていた。
その「曹操」君、中国人にも負けず劣らず、流暢な中国語を操り、軽妙に語る。
彼は一体どうやって練習したんだろう? 或いは中国生まれの中国育ちなのか?・・とか、私もほとほと感心して、興味を覚えた。
流暢な中国語を巧みに操り、自分の番組を1つ持っているぐらいだから、その実力たるや大したものだ・・と思っていたのに・・・。
そのトーク番組の中で、司会者が彼に小さなパネルを1枚手渡し、そこに何か文字を書く場面があった。
彼は困惑してしまい、「※音(ピンイン)でもいいですか・・?」と司会者にたずねた。
※・・手偏に并
つまり、「ローマ字で書いてもいいですか?」と訊いたのだ。
司会者は「書けない字があれば※音でも・・」と答え・・
そして、「曹操」君は、そのパネルに「毛沢東」と書いたのだ。
その「毛」の字を見て、ボクは驚き、笑ってしまった。
その字を見たら、誰でも笑う。
「曹操」君が書いた「毛」の字、
その最後の一画が「┗」ではなく、左方向にはねて「┛」形になっていたのだ。
中国テレビで自分の番組を持つぐらい、中国語ペラペラの「曹操」君なのに、実は、彼は漢字が書けない。書けないなら、多分読めない。
恐らく、新聞も雑誌も読めないだろう・・と云うことが分かってしまった。
「曹操」君の中国語とは、こんなものだったのか・・と思って、私はその意外さに驚いたのだ。
それに引き比べ、私はどうだろう。日本人は本当にスゴイと思った。
私が学生の時分、漢文の授業で何を読んでいたか。
そう、「周禮」を読んでいたのだ。
その年、授業では「周禮」の「春官・大宗伯」から読み始め、1年以上続いた。
読むのはもちろん「周禮注疏」。鄭元の注、賈公彦の疏をすべて丁寧に読んでゆく。
大漢和辞典を机の左右にずらりと並べ、時に春秋左氏伝、詩経を開いて引用の文章の出処をさがす。
それはそれは、気の遠くなるような、同時に夢のような日々だった。
古典の文章・・今でも決してスラスラとは読めないし、ペラペラ流暢でもないけれど、辞書があれば必ず正しく解釈できる・・と云う自信はある。
漢字の「毛」の字を、正しく「毛」と書けるだけでも、それは毛、すばらしいことなのだ。
日本人は、ある意味、中国人以上の中国人なんだと確信する。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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