支那の歌謡界の限界
投稿者: mochihada2 投稿日時: 2008/08/25 14:56 投稿番号: [169999 / 196466]
開会式も閉会式も、支那の伝統的な物を見せる時はそれなりの重厚さもあり、見るに耐えうるのだが、支那の現代のもの、例えば現在の支那のポップスなどを聞かせると急にテレビのチャンネルを変えたくなるね。
支那が世界に自慢出来るものはすべて昔の物。
現代の物を出すと急に世界に対してアピール力がなくなってしまうのだ。
閉会式の最後で支那の歌手が歌う場面が出てくるが、すぐ飽きてしまう。
曲が良くないね。
それに、顔を知っているのもジャッキーチェンと韓国のピだけだった。
この光景は、現代の支那の歌謡界の限界を良く示している。
閉会式の演出者もそれを良く心得ているのか、最後はやはり世界的に有名な白人テナー、プラシド・ドミンゴの手助けを借りて最後を締めていた。
支那のエンターテイナーの力だけでは五輪の閉会式を締められなかった訳だ。
支那が昔、歴史に拘るのも無理は無い。
昔の物にしか自慢出来る物がないのだからね。
これは メッセージ 169971 (yulinadelaide さん)への返信です.
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