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日本開國の歴史について----黒船來航

投稿者: taipei_made_benki 投稿日時: 2008/08/22 09:51 投稿番号: [169745 / 196466]
黒船來航(くろふねらいこう)とは、1853年にアメリカ合衆國海軍東インド艦隊が、日本の江戸灣浦賀に來航した事件。マシュー・ペリー提督によって米大統領國書が江戸幕府に渡され、日米和親條約締結に至った。日本では一般に、この事件から明治維新までを「幕末」と呼んでいる。

嘉永7年來航

嘉永7年1月(1854年)、ペリーは琉球を經由して再び浦賀に來航した。幕府との取り決めで、1年間の猶豫を與えるはずであったところを、あえて半年で決斷を迫ったもので、幕府は大いに焦った。ペリーは香港で将軍家慶の死を知り、國政の混亂の隙を突こうと考えたのである。ここに彼の外交手腕を見て取ることもできる。

1月14日(同年2月11日)に輸送艦「サザンプトン」(帆船)が現れ、1月16日(同年2月13日)までに旗艦「サスクェハンナ」、「ミシシッピー」、「ポーハタン」(以上、蒸氣外輪フリゲート)、「マセドニアン」、「ヴァンダリア」、「レキシントン」(以上、帆船)の巡洋艦六隻が到着した。なお、江戸湾到着後に旗艦は「ポーハタン」に移った。2月6日に「サラトガ」、2月21日に「サプライ」(兩帆船)が到着して計九隻の大艦隊が江戸灣に集結し、江戸はパニックに陥った(一方で、やはり浦賀には見物人が多數詰め掛け、觀光地のようになっていた。また、勝手に舟を出してアメリカ人と接觸する市民もいた。吉田松陰が外國留學のため密航を企てポーハタン號に接觸したのはこの折である)。


約1ヶ月にわたる協議の末、幕府は返答を出し、アメリカの開國要求を受け入れた。3月3日(3月31日)、ペリーは約500名の兵員を以って武蔵國神奈川の横濱村(現神奈川縣横濱市)に上陸し、全12箇條に及ぶ日米和親條約(神奈川條約)が締結されて日米合意は正式なものとなり、徳川家光以來200年以上続いてきた、いわゆる鎖國が解かれた。その後、伊豆國下田(現靜岡縣下田市)の了仙寺へ交渉の場を移し、5月25日に和親條約の細則を定めた全13箇條からなる下田條約を締結した。
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